ユーコさん勝手におしゃべり

2月26日
 「今日海は、ぼんよりしているね」
 首都高速湾岸線が東京から神奈川に入る。海にかかるつばさ橋の上で、運転席の店主が言った。
 「そうだね」 と同意して、貨物船の行き来する海を見渡す。
 「ぼんよりって、ぼんやりとどんよりのまざったことば?」 と半笑いで聞き返すと、店主も半笑いで、「うん…言っててヘンだとは思った」 と言う。
 「…でも、何かあたってるね。ぼんよりって、かんじがするよ。」

 沿道の雪も徐々に姿を消しはじめ、三寒四温の温の方がやってきた。前日まで氷のように冷たく澄んだ空気だったが、一変、春霞の日和となった25日、三浦半島へハイキングに出かけた。
 横浜横須賀道路を衣笠で降り、西側へ進路をとる。長井漁港から海沿いの道を荒崎まで走る。荒崎海岸はわかめの収穫シーズンで、あちこちでのれんのようにずらりとわかめが干してある。
 荒崎公園で車を止め、岩場の海岸をゆくハイキングコースを歩く。洞窟ありちょっとした鎖場ありで、磯遊びもしながら、散策が楽しめる。海岸から少しのぼってキャベツ畑の続く道をゆくとソレイユの丘へ出る。公園の入り口に鮮やかな蛍光黄色の菜の花畑が広がり、芳香を放っていた。公園を出て、今度は農家と住宅地の道を荒崎まで戻る。キャベツ満載の軽トラが行き交う道沿いに、無人販売所があり、「何でも1つ100円」と書いてある。備え付けのビンの中に300円を投入して、大きくてずっしり重いキャベツを二つと深緑色の小房がいっぱい入ったブロッコリ一袋を持参のビニール袋に入れた。
 民家の庭先の沈丁花が、赤いつぼみの中ではずかしそうにふたつみっつ純白の花を開いている。今年さいしょの沈丁花の開花を見た。
 キャベツ畑に菜の花、沈丁花、春の役者はそろったなあと足取りも軽く、わかめののれんの道を荒崎公園へ戻った。
 再び車に乗って、景色を楽しみ、寄り道しながら海岸線を北上する。三浦市から横須賀市、葉山町、逗子市と通り横浜の幸浦から首都高速で帰路に着いた。
 帰宅後、さっそくブロッコリをゆでる。葉っぱも茎もみんな美味。口からのどへ、体いっぱい春がひろがった。

 明けて今朝、満開の梅に河津桜、昨日見た春の余韻で少しニヤケながら、店の横の道を歩いていると、角を曲がってご近所の奥さんがやってきた。
 「こんにちわ」とあいさつすると、奥さんが、「すこし…」と言ってニコッと笑った。一瞬 間があって、二人同時に、
 「あったかくなりましたね」 と言った。そしてそのままにっこりすれ違った。
 出会い頭のなぞかけに正解したようで、何だかしばらく愉快だった。

2月20日
 2月は短い。
 心して過ごさねば、すぐひな祭りになっちゃうぞと、1月のさいごの日、心してカレンダーをめくった。それから20日たち、今日居室に自分用の小さいおひな様を出した。コショウの入っていた小さなガラス瓶を洗って一輪挿しにし、小花を飾る。
 3月になるまであと一週間ある。いつもバタバタして、2・3日しか飾る間がないのに比べると上出来だ。これは、雪の功名である。
 この短い2月の間に3回積雪をみた。予報が雪となれば、前日からハンギングプランターは店内に避難させ、本の発送に支障が出ないように準備を早めたりする。
 先週末3度目の雪は特に量も多かった。各地で被害も出た。大雪の翌日は大風が吹いた。
 明けて月曜は、 「何でこんなに」 と思うほど、明るくケロリと晴れた。庭の木製ラティスが雪でいくつか壊れていて、寒風の中修復作業をし、ペンキ塗りをした。
 この2月、いつもよりやることが多くて、カレンダーを何度も何度も見た。
 おかげで日にちの自覚がわき、おひな様を早目に出せたのかな、と思う。
 寒い冬で、飼い亀はまだおとなしく冬眠している。おふとんにしている落ち葉の予備がまだあったので、冬眠水槽に入れ足した。去年の秋、各地で拾った紅い桜の葉は、ビニール袋の中でまだその美しい色を保っていた。すっかり葉の落ちた並木の木々を見慣れた目に、ことのほか新鮮に映った。
 四季のあることをありがたいと思う。
 春のたのしみを指折り数えて待つ、2月のおわりである。


2月8日
 今までずっと続いていた冬が、ゆれ始めた。春へゆくか冬に戻るか、季節のせめぎ合いがやってきた。
 今週は晴天で始まった。月曜日は最高気温18度と3月下旬並みの陽気になると予報が出たので、早起きして、車で荒川の土手沿いの道を海まで下り、葛西臨海公園の水仙まつりへ行った。翌日はみぞれが降るという予報がうそのように、微風に揺れる水仙の花が愛嬌をまき、芝生広場で幼児連れがピクニックを楽しんでいた。
 昼前にはまた土手沿いを堀切まで戻り、店を開けた。その日は、
 「今日はあったいかいですね」 が、お客さんや近所の人とのあいさつ言葉になった。
 翌火曜日は、朝からみぞれが降っていた。店舗は休業で、美術館巡りに出かけた。
 京成線で上野へ出て、東京都美術館「世紀の日本画」展へ。小林古径の絵巻「竹取物語」が、巻物をひろげた姿で見られた。さいごの絵が富士山だったのが以外だった。竹取物語は、竹から生れたかぐや姫が月に昇り、帰ってゆくはなしと思い込んでいた。
 そういえば、「今度読もう」と思ったままだった旺文社文庫対訳の竹取物語のカバー絵も、煙たなびく富士山だ。
 帰ったら早速読むと決めて、地下鉄に乗り、次の目的地、恵比寿の山種美術館「kawaii日本美術」展へ向かう。みぞれは雪にかわっていた。ここでも日本画を堪能して、帰宅するころには、積雪がはじまっていた。
 翌日から西高東低の典型的冬型気圧配置で、東京は晴れて乾燥した冷たい風が吹き、前日の雪で凍ったプランターのビオラはすっかりしおれた。再起を期してしおれた部分をカットして水をやる。寒さにめげずチューリップの芽は元気に直立している。
 数日かけて竹取物語を読んだ。月に帰る姫はさいごに、月の人と地上の人の心のあわいで帝に手紙を書く。その手紙とともに帝に託した不死の薬を、まだ名のない駿河の高い山の山頂で姫への返歌の手紙とともに燃やしてしまうところでこの話は完結するのだった。
 佐多芳郎のカバー画の冨士と半月も、読んだ後と前とでは印象がずいぶん違う。
 生半可な思い込みで知っているつもりになっていることは、実際知っていることの何千倍あるのだろう、とわくわくするようなこわいような気持ちになる。
 今、外は真っ白である。今朝からたいそうな勢いで雪が降っていて、やまないまま夜になった。東京では記録的な積雪だとニュースが言っている。
 明日はみぞれのち晴れで、強風ながら気温は10度を超える予報だ。
 季節は激しく揺らいでいる。

2月2日
 午前中、上野の国立博物館へ人間国宝展・クリーブランド美術館展を見に出かけた。
 朝、開場の時間に出かけ、混んでくる昼前には帰路につく。日曜日のこととて、たくさんの人が駅から、動物園や博物館のある上野公園へむかって歩いてくる。ベビーカーを押したパパと手をつないで上野の山を歩いてきた小さな女の子が、
 「あるいていくの?」
 「そうだよ。歩いていくんだよ」 と答えるパパに、
 「…あるいていったら…、たべられちゃうんじゃない?」 と心配そうに聞いた。
 すれ違ったときに耳にした会話なので、その前後はわからない。
「トラやライオンもいるんだよ」と聞かされて楽しみに来た動物園だけれど、絵本のイメージの中には「オリ」がなかったんだろうな。
 駅までの道すがら、自然に頬がゆるんだ。
 頬がゆるむといえば、おとといもつい頬がゆるむ場面に出会った。
 朝10時ごろ、自転車で買いものに出たときのことである。その日は中学の制服姿の子と何度かすれ違った。テスト期間中なのかなと思って走りながら、小さな交差点で横を向いて左右確認すると、路地の向こうで、制服の男の子が女の子に、「考えといてください」 と言っていた。
 女の子は身を傾けて、「えぇ〜」と照れ笑いをしている。ちょうど女の子の顔にお日様があたっていて輝いて見えた。
 時はまさにバレンタイン前なのだ。今「考えといてください」と告白しておけば、2週間、考える時間がある。男の子は「どうでしょうか」と聞きに行かなくても、チョコがもらえるかもらえないかで答えがわかるのである。
 次の日の朝刊に、その日は都立高校の推薦入試の発表だったとあった。二人とも中学三年生で、発表を見に行った帰りだったのだろう。
 若いっていいな、と、自転車をこぎながら、金子光晴の詩「若さに」を口ずさんだ。


 若いということは、すばらしい。いまひらいた力のあふりで
 はなびらが揺れているように。
 肌も、うぶ毛も新しくて、ふれる微風も眩しそうだ。

 若さを、よごれた手でふれまい。たとえ眼にあまることがあっても、寛大でありたい。
 人が迷ひなく愛しあえるのは、若いときのこと。

 残念ながら、どんなよい人生があっても、若いということにはかなわない。
 僕らが生れてきた甲斐と言えば、ただ一つ。
 じぶんにも、若い日があったことだ。

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