ユーコさん勝手におしゃべり

1月29日
 花の少ない1月に、水仙と梅がやってくる。
 鎌倉巡りの第二弾へ出かけた。車をコインパーキングにとめ歩きだす。先週行ったときにはまだちらほらと姿を見かけるだけだった梅の花だが、一週間でその数も増えた。
 今回起点の荏柄天神社に、香りもピンクの色合いもみごとな梅があり、香りをめでに近寄ると、「鎌倉一早咲きの梅」と看板が下げてあった。
 途中浄妙寺の拝観をおえて住宅地を歩くと、民家の塀の上を尾のふさふさしたリスが通っていった。その時はほほえましく見たけれど、その後別の寺では本堂入り口に、「リスの害で開けられません」と貼り紙があり拝観できなかった。
 あちらを立てればこちらが立たず、ものごとには多面があるということだ。
 蛭子神社の本殿の裏手で、無数のスズメがキラキラ鳴いている。うちの近所でも、盛んに鳴き交わす声がきこえるようになった。日が長く明るくなり、冬を生き延びた喜びを歌っている。
 材木座海岸に出て、光明寺の石庭を眺め、ウィンドサーフィンに興じる人とことばを交わす。階段をのぼった先にある正覚寺でもう一度海を見渡し、右手に江ノ島を望んで、約7時間のハイキングが終了した。
 帰り道、首都高速道路が都内に入ると、江ノ電カラーの江ノ島電鉄バスがいた。羽田で降り、羽田空港ターミナルにすい込まれて行った。
 国内の交通網は整備され、海外旅行も身近になった。サイフを持った人間だけを入れ、それ以外のイキモノは入れたくないというこちらの都合はもう通じないだろう。

1月22日
 季節はめぐって、いちごのモンブランが並ぶときがやってきた。
 近所のお菓子屋さんが、その時々の季節の果物でモンブランをつくっている。店の外の黒板にいちごのモンブランと書かれているのを先週末にみつけた。店主に言うと、「今日の休憩に買ってこいよ」と、ポケットから小銭入れを出した。
 ふたつ買うかひとつ買うか悩んだ。ケーキ屋さんでひとつだけ買うのも気が引ける。だがけっこうボリュームがあるので一人ひとつだとチト多い。
 「二人でひとつでいいよね」
 話し合いの末、ひとつと決めた。
 コートのポケットに380円入れて、お店に入る。ご近所だけどちょっとドキドキする。
 「いちごのモンブラン ひとつください」 と言って、ショーケースを見ると、他のは並んでいるけど、いちごのモンブランはひとつだけ入っていた。
 「なんだ、よかった」 と思った。さいごのひとつだったので、どうせふたつは買えなかったのだ。
 甘酸っぱい春の味、淹れたてのコーヒーとともに堪能しました。

1月21日
 大寒を一日すぎた。
 休日は温泉とそばを求めて北上することが多いのだが、今冬はことのほか寒いので、関東の海めぐりに出ている。
 冬でも、「人間じっとしていると腐る」というモットーをくずさない店主は、行く方向や歩くコース、食べるものまで綿密な計画をたてる。
 年中、「座って(時にはころがって)本を読んでいれば幸せ」の私も、出来上がった計画にのっかる形で車上の人になる。もちろん、行けば楽しい。見たい空や波や花はここにあったのか、と、まるで自分が渇望してそこに行ったように感じる。
 先週は、千葉へ行き勝浦の浜を歩き回った。今週は、鎌倉へと足を伸ばした。地図を広げ店主が「この冬の間に三回は通わないと」というその第一弾だ。
 朝9時には現地に着き、鎌倉文学館の口開けの客となった。小さいがよく手入れされた館内で、常設展とともに小津安二郎展をやっていた。自由に散策できる庭のバラ園は、バラの前に柵がない。バラの似合う洋館で、東京の旧古河庭園と似ているが、こちらは香りがかげるので鎌倉の勝ち。
 文学館を出ると、目白押しに神社仏閣詣でで、見どころ満載。数え切れないほど柏手を打ち、合掌した。たくさんの神様や仏像にあいさつをして周る。それだけで幸せな気持ちがたまってくる。
 由比ガ浜の長い海岸を歩き、夕陽とともに家路に着いた。
 次は鎌倉でも海沿いでなく山のほうを行くそうで、店主はさっそく計画立案に忙しい。
 私は、日々読んでいる本に、出かけるたび読みたい本が重なって、終りがないことを楽しんでいる。

1月16日
 今年最初の満月だ。
 昨日店を閉めるとき、月がきれいだったので調べてみると、十四夜だった。
 今晩は月が地球から一番遠く、今年一番小さく見える満月だそうだ。小さくても丸い。昨日も今日も、木星をそば近く従えて、円満に浮かんでいた。
 だんだんと日が長くなってきた。寒さはピークながら、街を歩けば、桜の花芽、沈丁花のつぼみが目に入る。
 次の次の満月を眺めるころには、三寒四温もひと段落して、温にむかっていることだろう。

1月11日
 朝、堀切菖蒲園へ散歩に出かけた。
 落葉樹はみな葉を落とし、菖蒲田は全株さっぱりと刈り取られている。水を抜かれ泥沼状態の池に薄く氷が張っていた。ひと気のない園内の中央に双眼鏡を熱心にのぞく紳士が一人、冬になって菖蒲園で何度か出会った人だ。手には小さなノートを持って、時々何か書き込んでいる。
 最初は野鳥の観察をしているのかと思ったが、そうではなかった。ノートには、園内の菖蒲田の見取り図が書いてある。株元に一株ずつ名札が挿してある菖蒲のすべてに番号をふって、200数十種、約6000株の全分布図を描いているのだ。春になり葉が茂ると、田の中ほどの名札は見えなくなり、花が咲くころには「あの花の名前は」と思っても確かめようがないから、冬の内に分布図をつくるのだそうだ。ここだけではなく、他の庭園用のノートも手にしている。
 「定年後で時間だけはたくさんあるものですからね」
 と本人は謙遜しているが、観察者として尊敬に値する。
 ノートの余白はだいぶ埋まってきた。葉が出揃ってこの作業が成就する前に、また会えるだろうか。花のシーズンには、カメラを携えてここにくるそうだ。この観察は、趣味の写真の布石だという。
 どこにいても、いくつになっても、好きなことの芽を見つけられる人は見ていて気持ちいい。寒くはあったが足取り軽く、店に戻った。

1月6日

 「駅前の居酒屋に、『忘年会まだ間に合います』って貼り紙がしてある。
もう、間に合わないと思うけど」
 年始も3日を過ぎた夕刻、家人が笑みで頬をふくらませて帰宅した。「ねぇ 聞いて 聞いて」 と訴えている目に、「なに なに?」 と尋ねると、そう言って道々こらえていた笑いを吹き出した。彼のおかしい思いが伝染し、しばしいっしょに笑った。

 今年も年頭は、都内ミュージアム巡りで過ごした。
 2日は、江戸東京博物館とサントリー美術館へ。ミッドタウンで獅子舞の獅子に頭を噛んでもらい、館内の書店で白石一文の新作『彼が通る不思議なコースを私も』を購入した。今年の初買いだ。
 3日は、練馬のちひろ美術館へ「ちひろと初山滋」展をみに行く。充実の内容で満足し、正月限定、渋滞のない東京ドライブを楽しんだ。
 4日は、上野動物園。好天でパンダも外の運動場に出ていた。輝く子どもたちの姿が園内中にみられた。普段、学校や塾や習い事、室内ゲームに縛られた子どもたちが、正月は外に放たれる。自分の周りに自分を見てくれる人がたくさんつどう。
 年始、「東京にもこんなに子どもがいたんだ」 と驚きをもって、のびのびした顔の子どもたちを見た。
 5日から仕事を始める。今年もひとつずつ、ていねいに、自分を戒めながら、本と、お客様と、かかわっていきたい。
 昨年末、もっとも心に残ったことばを念頭に、

 (この)文明がほろびたときに、後世の人たちが廃墟に見出すのは、現金だろうか?
それとも彫刻や、詩や、戯曲だろうか? 
               (カポーティ著『The Dogs Bark 犬は吠えるI』小田島 雄志訳)

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