ユーコさん勝手におしゃべり

7 7月28日
 学校が夏休みに入る日と前後して梅雨明けがあり、梅雨が明けると、しばらく晴天が続く。…という図式は、もう成り立たないようだ。
 数年前から、吹けば大風、降れば大雨、照り始めたら猛烈な日差し、ということが増えてきた。暦と天候がズレて、各地で恒例の花見祭りの時期と花期が合わないことがある。
 今夏は特に、あったようななかったような梅雨が明けたはずがぶり返してきた。今になって連日雨を見ている。
 27日も昼間は晴天だった。昼過ぎから道でゆかたの人を見るようになり、「今日は隅田川の花火だな」と気付いた。その4日前の江戸川・柴又の花火が突然の大雨で急遽中止になり、ぐっしょり濡れたゆかた姿と交通整理にあたるDJポリスが報道されていた。そのまた3日前の荒川の花火は無事に終えていた。当店のあるところはわりあい近くにこの3本の川があり、店を出なくても音は楽しめる。
 27日は、「ちょっと見に行ってみようか」ということになり、7時少し前に店を閉めて、店主と自転車で荒川の土手に行った。混雑する隅田川沿いまで行かなくても、近くの荒川の土手からもけっこうよく見えるのだ。街中はビルがニョキニョキ建ち、ちょっと見ないうちにすぐ景色が変るが、川の土手は時がたってもひろびろと変らない。いつもは青か紫の照明のスカイツリーが、花火用にシックにライティングされている。自転車を止め、シートを敷いて花火を待った。開催を知らせる花火も鳴った頃、となりに陣取った家族連れのお父さんが、スマートフォンを見ながら、「30分後に雷雨だ」と言った。確かに、隅田川方面は晴れていたが、北の埼玉方面の空は見たことのないような赤黒い色になっている。しかしその時は、風が南や西の方から吹いていたので、空を指して、「あの報道のヘリコプターが退避したら帰ろうね」なんて言っていた。
 花火も始まり、荒川土手にも続々人が来た。となりのお父さんのスマートフォンを操る頻度がどんどん速くなった。花火は続くが、土手と反対の方を向き、北の空を指して「光った」という子の声がした。西に花火、北に雷光を見た。その時、急に風向きの変るのを感じた。今まで前から吹いていた風がフッと後ろから吹き、次に北から冷たい風が来た。
 「来た!」「風が変ったよね」と店主と私が同時に言って立ち上がり、シートをたたんだ。となりの家族も「もうやばいよ」と帰りじたくをはじめた。
 自転車に乗って、急いで土手を下りた。まだこれから行く人もいたが、道路に出る頃には最初の一滴が落ちてきた。家についた時には、小雨だったが、まだ花火の音は聞こえていた。急いで窓を閉め、シャワーを浴びていると、ズザザザーと音を立てて降りだした。花火は異例の中止となったと後で聞いた。
 子どものころ、科学が発達した未来図のひとつに、雨雲を操作して、ダムとか降らせたいところに降らせ、台風などの災害をコントロールできるようになるというのがあったと記憶しているが、どうなったのだろう。
 地震予知も、過去に言われたようには甘くないとわかった。
 人は宇宙にまでも行けるようになり、遠い星のことまでわかるようになったけれど、足元の地球の明日の天変さえまだわからない。
 空は近くて遠いなあ、と洗った髪を乾かしながら思った。

7月25日
 大暑に避暑旅。7月23日「大暑」の日の朝6時に東京を出発した。ラジオで都心の予想最高気温は32度と告げていた。
 東北自動車道を北上し、栃木・上河内で高速を下りると、日光から県境を越えて、福島・会津方面へむかう。沿道は一面、さわさわと風に揺れる田んぼ。田畑の中に牧場やスキー場の看板が増えてきて、旅の最初の目的地、駒止湿原に到着した。
 気温は20度ほどで曇天。午後から雨の予報で、駐車場には一台しか車が止まっていなかった。
 木道が整備されているが、草木の勢いがよく、木道をおおいつくさんばかりに茂っている。湿原と名がついても枯渇しそうなところも多い中で、ここはたっぷりと潤っていて、木道の下には輝く水が流れている。
 キンコウカの大群落があり、あざやかな黄色の小花が視界いっぱいにひろがっていた。駐車場から大谷地、白樺谷地を周って再び駐車場に戻るまで、一度も人間を見なかった。見たのは花と花々、無数の蝶とおたまじゃくし。聞こえたものは鳥の声と店主と私の話し声だけだった。
 昼過ぎに駒止湿原を出て、会津田島の駅へ向かう。駅前のそば店が目的地だが、交通整理の人がいて、駅前の通りは通行止めだという。
 「祇園祭りなので」 と言われ迂回して、にぎやかに出店の並ぶ駅前に行ったが、目当ての店は臨時休業の貼り紙が貼られていた。
 「調べてくればよかったね」
 と言いながら人波に乗ってメイン通りに行くと、立派な山車が並び裃姿の人や花嫁衣裳の人もいて、露天屋台もズラリと続いている。
 交流館と書かれた建物で 「おそばを食べに来たんだけど」と言うと、お祭りの間、地元のお蔵入りそばの会の人たちが、もり一枚500円で手打ちそばをふるまっていることを教えてくれた。
 会場は活気に満ちて、目の前で打たれたそばが次々ゆでられ冷水でしめられ、人々のおなかに納められていった。それがまた美味しくて、おかわりして2枚目を食べていると、同じテーブルについたおじさまが、「遠くから来たの?」と声をかけ、「お蔵入り」の名前の由来や、会津城のことなど話してくれた。大事に手入れされた祭りの衣装からも、地域の人に地元が愛されていることが感じられた。すっかり食べ終えそば湯もおいしくいただいてから、この祭りが国の重要無形民俗文化財の会津田島祇園祭であることを知った。
 わさびもおいしかった。偶然ながら、おなかも満足・目も保養、でした。
 その日は、再び県境を越え、那須高原で温泉に浸り一泊。このあたり一帯はヤマユリのシーズンで、どこへ行っても時々ふっとユリの芳香がする。
 翌朝、小雨の降る中、さらに東北自動車道を北上し、あぶくま高原道路に入り、あぶくま洞へむかう。
 あぶくま洞へ上がっていく沿道は、ちょうどあじさいが盛りに向かっていくところで、色もとりどりで鮮やかだ。気温は20度前後で気持ちがよい。あぶくま洞は予想以上の圧巻だった。
 鍾乳石の屹立に、年配の方が
 「全部 仏像(ほとけさん)に見えるわ」
 「見たいように 人は見るのね」
 と話していた。意図せぬ自然の造型は、見様によって何にでも見える。神秘とも、無造作ともいえる。
 気温15度の洞内ですっかり今回の旅の目的、暑気払いを果たし、ゆっくり帰路につく。
 福島から、道の駅や農産物直売所に寄り道しながら南下し、県境を越え茨城へ。
 常磐自動車道・那珂インターから東京へ戻った。東京は蒸し暑い小雨が降っていた。

 旅から帰った翌日、飼い亀が、店番している足元で、ひとつ産卵した。今年2度目の産卵だ。いない間に産まずに、帰宅するのを待って、卵を見せてくれたのかなと感じた。
 そう思う自分に、あぶくま洞で耳にした「見たいように人は見るのね」という声が聞こえた。

7月20日
 スーパーのレジに並んだ。すぐ前に3・4歳のふたごの女の子がお父さんと並んでいた。手にはひとつずつキャラクターの描かれた棒付のチョコレートを持っている。
 パパの買い物かごの中身に続いて、二人のキャラクターチョコもそれぞれレジの人がピッとバーコードを読み取り、お会計が済んだあと、事件はおこった。
 買ったものを袋につめるパパの横で、自分の選んだチョコをじっと見ていた一人が、もう一人のチョコを指差し、
 「こっちのほうがいい」
 と言ったのだ。もちろん言われた方も、「じゃあ とりかえようか」とはならない。
 だだをこねだした子は大泣きで、パパもなだめきれない。
 レジの人が、「値段は同じだから、そっちのキャラクターのと とりかえられるよ」
と棚にある新しいのを指差してもまったくダメである。
 もう一人が持っているそのチョコがいいのであって、同じ絵が描いてあっても棚にある別のじゃイヤなのだ。
 しばらく周囲の大人もまきこんで泣き続けた彼女であったが、そのうち、自分の選んだチョコをじっと見て、
 「やっぱり、これでいい」
 と言った。よーく見たらやはり自分の選んだキャラクターの方が好きだったと気付いたらしい。

 小さなスーパーの店内に、安堵の笑みがひろがった。

7月19日
 「それにしても すごい本ですよねぇ」
 と棚の向こうで声がした。常連のお客様がてきとうに会話を交わしながら本を物色し、ひとしきり棚を見渡して言ったことばだ。新刊屋さんのレイアウトではありえない棚のびっしり感に物量を感じる人は多い。そのことば自体に特に変ったことはなく、聞き流そうとした時、彼は、
 「よくまあ これだけ本書く人がいるなあ」
 と続けたのだ。私は驚いて、そばにあった紙にそのことばを書き取った。
 本がたくさんある。内容はさまざまだ。それらは皆、書きたい人が書いた。書き残さずにはおれなかった人がこんなにたくさんいて、まだ誰にも書かれていなかった事柄がこんなに多くあったことに気付かされ圧倒された。
 そのお客様が帰った後も、そのことばは心に残った。
 それから何日か過ぎ、昨日、店主と店主の弓道の先生と話をする機会があった。弓道談義になり、店主が、「手のひらのここが硬くなってきたんですよ」と言い、二人で手のひらを出し合って、先生が、
 「『正しいマメ(たこ)のできる位置』の本、読んだでしょ。あれさ…」
 と言う。私は「手のひらのマメの本」まであるのかと、先日のお客様のことばを思い出していた。
 今日店主に見せてもらうと、それは雑誌の中の数ページに掲載されたものだった。
 必要は書物の母、必要のあるところに書物あり。そして、人間の興味ははてなくひろがっている。思いもつかないような本に会う機会はまだまだある。
 知っていることは数えられるけど、知らないことは数えられないのだから。

7月15日
 あー、よく寝た。
 昨日、激しい雷雨が来て、酷暑を持ち去った。
 連日の35度超えで、家中の空気があたたまり、夜は枕を抱えて涼しいところを探すありさまだった。その熱気が一変、夜間は涼風も吹いた。久しぶりに快眠を得た。
 先日猛暑の中、飼い亀が産卵した。産卵前は何日も何も食べなかったのが、産卵前日エビを少し口にした。その翌朝、水槽の中に卵が一つあり、爆発的な食欲で、エサを完食した。まだ食べたそうに首を伸ばしてこちらを見ているので、「ちょっと待っててね」と声をかけて家に入り冷凍庫へ行く。亀が何も食べない間も、この日のために、ねぎま鍋をすればマグロを少し、エビマヨをつくればエビを少し、とラップに包んで冷凍庫にとっておいたのだ。
 解ける間ももどかしく、半解けのまま次々とたいらげた。甲羅に包まれているのだから卵の育つ間は窮屈だろう。解放されて、こころなしか気楽な表情に見える。しかし、まだひとつしか出ていないので、夏の間、あと1・2回は食欲不振と産卵を繰り返すことになる。
 猛暑からも 少し解放されて、店の横の小庭で今日も彼女は後ろ足で土を掘ったり日向ぼっこをしたりしてすごしている。大変な時もあるけど無駄なことには悩まない姿を見ていると、「今日も平和だな」と安心する。

7月9日
 梅雨明けと同時にたいへんな暑さがやってきた。猛暑というより、激暑、豪暑。どんな言い方をしても暑い。
 涼を求め、少しでも高いところへ行こうと、千葉・麻綿原高原へ進路をとる。平地では盛りを過ぎたあじさいが、少し高いところでは7月から見ごろとなる。満開にむかわんとするあじさいが斜面いっぱいに揺れていた。
 いくらか高いとはいえ妙法生寺の本堂あたりではまだ暑い。山ヒルの大量発生の情報があったので長袖・長ズボンのいでたちで、歩くたびに汗が流れる。
 山の中でハルゼミがいっせいに鳴き、いっせいに鳴きやむ。天拝園と名付けられた境内を高台へ高台へと歩を進め大日天堂でいったん行き止まり。海からの風が高原で冷やされこの場所を吹き渡る。
 見下ろす景色は、山なみの向こうに山なみが重なり、その向こうに海がある。東山魁夷だったら、平山郁夫だったら、と想像しながら景色を切りとる。
 山ヒル注意のあじさいの小路を通って、激暑の駐車場へ戻る。即長袖を脱ぎ、車に乗り込むと、第二の目的地、粟又の滝へ。養老渓谷の滝の一つで、川幅いっぱいゆるやかに岩を流れ落ちる。滝つぼも穏やかで、水遊びが出来るようになっている。靴下を脱ぎ、足をつけただけで天国気分だ。
 熱い道路から川岸へ長い階段を下ると、ある地点でスッと気温がさがり、爽風を感じる。川で遊ぶ間は地上の熱を忘れるが、帰り道、川から3メートルも上がると、また頬に汗がにじんでくる。
 本格的な避暑地に出ずに、南関東で何とか涼を求めんとすると、これが限界か。
 いい景色も見たし、川遊びもしたし、まぁ良しとしなくちゃと、自分を慰めていたら、帰宅後、FM放送で、今日は軽井沢でも最高気温が30度になったと言っている。
 「それじゃ 仕方ないな」 と妙に納得したのだった。
 皆様も、体調に気をつけて、ご自愛ください。

7月4日
 「流しカワウソ」を見に千葉の市川市動物園へ出かける。
 先日新聞で、「流しカワウソ」の見出しをみた。横にカワウソの流れる可愛い写真が添えてある。動物愛護団体におこられるのではと思ったが、カワウソは水の流れるトイ状につくられた遊具で、自主的に流れて遊んでいるのだという。
 「次の休みは絶対これに行く」 とすぐに心は決まった。
 そして今日、朝からワクワクと「流しカワウソ」を目指して、店主と車に乗り込んだ。時に雨もちらつく曇天で、一般のお客さんはほとんどいない平日の静かな動物園だったが、最近話題のこととて、カワウソ舎の前には、どこかのカメラクルーがじーっとカワウソの流れ待ちをしていた。
 カワウソたちは、「ミュウミュウ」「キューキュー」とひっきりなしに鳴き、じゃれ合い、水に入ったり砂場でころがったり、一時もじっとしていない。ペンギンと同じように水陸両用だが、ペンギンより活発で、目も耳も楽しませてくれる。お目当ての遊具で流れてはくれなかったが、すっかりカワウソファンになった。
 他の動物もそれぞれ手書きの紹介プレートがあり、みな人懐っこかった。小動物だけの小さな動物園だが、動物が大事に扱われていることが伝わってきた。
 動物園を出る前に、もう一度カワウソの方へ向かうと、カメラクルーがわきたっている。
 カワウソは、トイを流れる水の中で、流しそうめんのように一直線にスルっとではなく、滑ったり逆走したり、ぶつかったり立ち上がったり、「キーキー」「ミーミー」いいながら流れていた。
 雨も上がり、その時客は、数人のカメラクルーと私たちだけで、予想以上のぜいたく感であった。
 動物園を出て、周囲の自然観察園やバラ園を散策する。そして、昼食のあと、市川市東山魁夷記念館へ行く。
 「緑映-樹々との語らい-」と題された展示で、入り口に
 「私は生かされている
 野の草と同じである 路傍の石とも同じである」 と掲げてある。
 魁夷に触発されて、店主は「次の目的地は、蓼科高原・御射鹿池」と設定した。先日パンフレットをいただいた群馬県中之条町六合のチャツボミゴケ公園とからめて、今夏避暑旅の楽しみがひろがった。

6月のユーコさん勝手におしゃべり
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