ユーコさん勝手におしゃべり

6月30日
 お天気ばかりはお天道様がきめる。
 と自分に言い聞かせて、悔しい気持ちをおさえる梅雨の6月。
 21日が夏至であったことは、夜すっかり暗くなってからカレンダーを見て気付いた。その日はお日様が出なかったから「昼が一番長い日」の気分は味わえずに終わった。
 雨の多い週だった。
 「よく降るねぇ」
 「やまない雨はないっていうんだから、そのうちやむよ」
 「そうだね」 と、会話を交わしながら思った。
 異常気象が続き、いつかやまない日がくるかもしれない。そしたら、その後に生まれた子に
 「昔は、この降ってくるものがやむ時があったんだよ。 それは明るかったもんさ」 と教えるんだろうか。
 常に降っていれば、そこに水のあることが当たり前で、「雨」という名前もなくなるだろう。あるいは雨の種類が今の何倍も細分化され名づけられるだろうか。
 うつうつと考えながら寝たが、翌朝起きたら、カラリと晴れだった。雨上がりの陽射しで草花が輝いている。
 この好天がしばらく続きますようにと祈ったが、次の週、出かける予定の日だけ雨が降った。
 ううむ、雨は大事だ。水不足不安の報道もあった今月だもの雨降りはありがたい。とはいえ、悔しいと思う自分が悔しい。
 信州湯の丸高原のレンゲツツジは、来年の楽しみにとっておこう。

6月14日
 朝、身支度をしていると、隣の部屋で店主が「ヴァー」と枯れた声を発した。
 「どしたの?」 と声をかけると、少しの沈黙の後、

 「ものによく足の先をぶつける。  マル。」
 「何ソレ?」
 「アンケート。 よくあるじゃないそういうの。」
 「ああ、中高年向けの、ロコモ症候群とか、運動年齢とかの」
 「そう、ソレ。 今、ソファーの足に指ぶつけた…」
 痛さをまぎらわすために、自分で自分にアンケートをとっていたのだ。

 あどけない足指の話である。

6月10日
 寝る前に、寝室で本を読む。夕べはカポーティ『遠い声 遠い部屋』だった。ページを繰っていると、
 「森をずうっと行って、もみじばふうの谷間をぬけて、それから水車小屋のある小川をこえてさ…」
 のところで、「ア」と声が出て急いで脇のメモ用紙に「もみじばふう」と書き付けた。
 その描写を見るまで、「もみじばふう」のことを「もみじ葉風」だとばかり思っていた。深紅に紅葉する美しい木なのに、「もみじの葉っぽい」から「もみじ葉風」だなんて安直な名付けだなと思い込んでいたが、「ばふう」あるいは「ふう」という木があるのか?
 そうだとすれば、長いこと誤解していたのだ。物語の続きを読みながら、恥ずかしさに顔が赤らんだ。
 今日調べてみると、はたして、モミジバフウは「紅葉葉楓」で、フウ科フウ属またはマンサク科フウ属、しかもフウと楓(カエデ)は違うもので、もみじはカエデ科カエデ属だった。
 今秋、水元公園の駐車場に「もみじばふう」の紅葉を見に行ったら、「ごめんなさい」とあやまってこよう。

 しかし、なぜ突然「ア」と気付くのだろう。文字の連なりが目に入って文になり、映像を結び世界をつくっているのだろうか。
 そういえば、公園や野山で、初めて出会った植物でも、
 「これ、何だろう」 と聞かれた時、
 「だぶん、○○だと思う」 と答えられることがある。
 わからないものはわからないが、口から名前が出た時は、たいていあたっている、それを今まで不思議に思っていた。でも何かの本で読んだ描写が、頭の中で像を結んでいて、それがあらわれるのだとすれば、納得がいく。
 お話に出てくるものや花木の名前を、受け手の私はいちいち調べはしないけれど、作家の描き方が的確なら、知らないうちにちゃんと伝わっている、ということなのかと解釈している。
  (出典は、新潮文庫・河野一郎訳)

6月4日
 奥日光は、花盛り。
 よく晴れた朝、店主と知人の三人で車に乗り、奥日光へ進路をとる。
 いろは坂を上ると、奥日光のさくらと呼ばれるズミの花が満開でむかえてくれた。新緑につつじ、天にはズミの道をあがって行き、湯ノ湖畔の駐車場で車を降りる。湖畔のシャクナゲの林を通って、湯滝の脇を下り、戦場ヶ原を歩く。
 景色のいいベンチで昼食をとろうかと言っていると、
 「このサル!!」 とステッキを振り上げて走るおじさんが見えた。目の前の道を、右手にひとつ、左手に一袋の菓子を抱えた日本猿が横切る。人の追いつけない斜面まで上がると、左手の一袋は小脇にはさみ、右手に持った菓子パンのビニール袋を上手にあけて食べている。猿の食べこぼしをいただこうと、そばの枝にカラスも一羽やってきた。
 この地で弁当や菓子果物類をひろげて食べるのは危険である。人間同士が「どうぞどうぞ」なんて分け合っていれば、見ている動物が自分ももらえるものと思っても仕方がない。自分の分は自分で持ち、ひとつずつ出して食べれば、まずおそわれることはないし、ゴミも散らからない。おいしい空気の中で食べるおにぎりはおいしい。
 一休みして、また歩き出す。ズミは甘いにおいがした。
 カメラをそなえた数人が、静かに沸き立ち凝視する先には、野ネズミを捕らえたモズがいて、半分を食べ、半分を木の枝にさして飛び立った。
 赤沼まで歩いて、バス停からバスで湯ノ湖へ戻る。車に乗って竜頭の滝までくだり、いおうの温泉で休憩した。5時で営業終了の温泉を出て、中禅寺湖畔まで下り、当地に行くといつも寄る食堂で夕食をとる。世間話をしていると、去年、このあたりにテレビの取材があった話になった。
 「あーら おいしい」「まぁきれい」という態の旅番組で、女優さんがふたり、車で有名スポットをまわり、さいごはまるで中禅寺湖を一周歩いたかのようにみせる演出で放映されたそうだ。
 「次の日から地元は大変だったのよ」
 と怒気のこもった息をつく。中禅寺湖は実際に歩けば7時間はかかるし、自然の道で途中崩れていたり、通行止めのことも多い。
 女優さんが爽やかな顔で、「あぁ よかったわねぇ」 なんていうのにつられて気軽に行った人が夕刻になって、「暗くなってきて怖い」「道がわからなくなった」と自治体や周辺の施設に電話をかけてきたそうだ。
 「救急車の出る騒ぎにならなくてよかったけど、旅番組もよしあしだわ。」
 という。テーマパークではないのだから、自然の中へ行くには下調べと覚悟がいる。
 情報はあふれているようでいて、その中から自分に必要なものを選り分け、足りない部分は自分でも調べなければいい旅はできない。
 上手に遊ぶのは、ことほどさように難しい、と再認識した今回の旅の終りだった。

 帰宅後、店主は、「次の休みは鹿沼へそばを食べに行く」 と計画し、仕事の時間以外一日の半分は地図を見て過ごしている。
 店主が、地図を本のように立体的に読み、一日の半分を地図を見て過ごせるのも、才能のうち、なのだろう。

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