ユーコさん勝手におしゃべり

5月30日
 何をしても気持ちのいい季節、のはずなのだが、今年は天候不順である。
 降れば大雨、吹けば大風で、天候急変が日常化している。行きたい郊外は多々あるが、昨日も遠出はあきらめて、店主の先導で区内サイクリングに出かけた。
 晴れ渡る空の下、都立水元公園に進路をとり出発。菖蒲まつりの開催を一週間後に控え、ぽちぽちと花も咲き始めている。菖蒲田をみて、対岸のみさと公園へ橋を渡った。サギがたおたおと飛んでいる。メタセコイヤの並木が気持ちよく続き、ネコが「遊んでくれてもいいよ」と横たわっている。
 木陰のベンチで対岸をみると、水元大橋の上に人だかりがしていた。皆同じ方向を見ている。
 「何かいるんだな、何だろ」 と店主が言う。
 「ネッシーもどき」「金たらい程もある大亀」「カッパ!?」など妄想の生物の話をしながら自転車をこぐ。みさと公園を一周して、水元公園に戻ると、先ほどの人だかりは更に増えていた。橋のたもとで、釣竿をしならせたおじさんが一人、格闘している。近くの人に店主が声をかけると、
 「もう、一時間もずっとこうだ」 と言う。
 「姿も見せない。よほど大物に違いない」 と周りの人も言う。
 誰かが、「テレビ局 呼ばなきゃな」と軽口をたたく。橋の上で何人かがデジカメを構えて、待っている。
 おなかのすいてきた私と店主は、その後ろを通り過ぎ公園を出て、近くのパン屋さんでブランチをとった。
 軽食を済ませ、公園に戻るとすでに人だかりはなく、静かに釣り人が糸を垂れるいつもの姿になっていた。
 「バレちゃったか…」と店主がちょっと残念そうにいう。人に勝った怪物は、ほっとしてまた川を泳いでいることだろう。
 風が強くなり、雨の気配を感じて家路についた。
 遠くに行かなくても、5月は平等に、花の便りとこころ躍るエピソードをもたらしてくれた。

5月22日
 先日、山あいの温泉に入っていた時のことである。
 私は一人で湯舟につかっていた。向い側のはじに、老婦人の三人連れが入ってきた。こざっぱりと髪を整え、一人は薄紫に髪を染めていた。
 しばらくして、一段と高齢な感じのご婦人がゆっくりとした足取りで入ってきた。三人組のお友達は穏やかに旅の思い出などおしゃべりしていた。そのうちご高齢風の方が会釈して話に入り、「ところで、おいくつですか」と尋ねた。三人の老婦人は少しとまどってから、
 「13年です。」と答えた。
 「あら、じゃ同い年だわ!」
 「え…っ」と驚きの小さな声がして、三人の狼狽の波長がこちらまで伝わってきた。私はそこで内風呂をはなれ、外の露天風呂に移った。心中、「人はみかけによらないってことか…?」と考えながら。
 数分後、再び洗い場のある内風呂の方へ戻ると、明るい笑い声が聞こえてきた。どうやらご高齢の方の「13年」は大正、三人組の「13年」は昭和だったようだった。見えないわだかまりが晴れ、話ははずんでいた。私は体を流して、風呂場を出た。
 脱衣場で服を着ていると、三人のご婦人たちが上ってきた。
 「お元気ねぇ。すごいわ」
 「お嫁さんが働きに出て昼間はひとりで、絵を描いたり俳句を作ったりしているそうよ。ほとんど毎日ここに自転車で来てるんですって」
 「すごいわねぇ」
 「大正13年ですもの、自転車でここまでってすごいわ」
 「そうよねぇ。若いわ。私たちと親子ほども年が違うのにねぇ」
 と身支度をしながら話している。
 ここは山あいの温泉で、確かにいくら近所とはいえ、どこから来ても上り下りの坂道だ。自転車で来るというのはすごい。しかし、大正は15年までなのだから、大正13年と昭和13年の差が親子ほど違うというのは、言い過ぎだろうな。一瞬ヒヤっとしたが同年代じゃなかった、という安堵が声音から伝わってきた。
 年上から年下をみた時と、年下が年上をみた時の感じ方の差は大きい。年上からみればそこは通ってきた道だ。歳を重ねるほどつい最近のように感じるし、今の自分とあの時の自分はあまり変わっていないと思う。しかし、年下からみると、自分より高い年齢はまだ行ったことのない世界だ。自分がそこまでいくとは想像もつかない。
 自分を基点に、10年前も10年後も、10年という時の長さはかわらない。でも、10年前から今までの自分と、今から10歳年をとった自分になるまでの時の長さが同じとは思えない。
 20代の頃からそう感じていたけれど、今回お風呂で聞こえてきた会話から、これは多くの人に共通の感覚で、いくつになっても同様なんだと得心した。

5月21日
 金環日食である。天気予報では曇りだったが、朝6時に目覚まし時計の音で起きると、外はピカピカに晴れていた。
 コーヒーとヨーグルトで腹ごしらえをして、太陽を求めて店主と自転車で出かけた。店の前の道路からも見られたが、朝の駅前の道ばたはせわしない。
 近所の高台の公園を目指して走っていると、その手前に広い駐車場があり、東側がひらけている。すでに親子連れが観察していて、我々もそこで見ることにした。自転車の前かごから溶接用のマスクを出し、サングラスもかける。前にいた親子連れも「以前うちで溶接してた時のレンズですよ。これならいいと思って」という。さすが町工場の街である。
 7時15分ごろには日食はどんどんすすみ、駐車場の前の家の老夫婦も、「どれどれ、ちょっと見せて」とやってくる。日食グラスを持った小学生も増えて、早朝でまだ普段なら無人の駐車場もしばしのにぎわいだった。
 事前の広報とたがわず「7時34分」にはきれいに金環となり、店主は、「計算通りだ。天文も数学だよな。数学の力はすごい」 と感心していた。
 金環状態がおわるころ、雲が優勢となり太陽にかかりだした。いつもと違う雰囲気に、庭先で吠えていた老夫婦の飼い犬も、「あんまり見てると犬の眼にも悪いよね」と夫妻と一緒に家の中に入った。
 「ああ、よかったね」と誰ともなく言って、にわか天文ショーは解散となった。

5月16日
 前日光高原へつつじを見に行く。昨夏に前日光・井戸湿原へ行ったとき、山つつじの群生をみて、「5月になったらぜひまた来よう」と思った。5月を楽しみに時を過ごした。
 朝、店主のバイクに乗って出発。高速道路を下りて、田植の準備の整った農村を走る。「手打ちそば」の看板があり心魅かれるが、午前中のことで、まだ開いていない。
 すると通りすがりにちょうど、「手打ちそば、うどん」ののれんを持って外に出てきた人がいた。「開店ですか」と店主が声をかけると、「ええ、やってますよ」と答えた。
 「じゃ、食べていくか」と入る。真新しい小さなプレハブ建てだった。お店の人は熟年夫婦で、このゴールデンウィーク前に開店したばかりだという。
 もりそばを頼むと、田舎そばにつゆと、ネギとわさびの小皿、たけのこと竹輪の煮ものの小鉢が出てきた。わさびはついてきたが、テーブルに七味の姿はなかった。
 おいしくいただきほぼ食べ終わるころ、店主がお店の奥さんに、
 「ここらへんでは、そばに七味はつけないの」 と尋ねた。
 「七味ですか」 と奥さん。
 「そう。東京だとたいてい、そばにはわさびと七味がつきものなんだけど」
 「一味ならうどん用にあるけど、七味は用意してないわ。一味はうちでつくってるのよ」
 「自家製なんですか」
 「そう、辛いよ。唐辛子の種も一緒に挽くの、挽く機械があるから。もう辛いからクッシャンクッシャンくしゃみが出るのよ」 と言って、厨房のだんなさんに、
 「お父さーん、お客さんのところじゃ、七味もそばに出すんだってさ。うちもコレ、出しておこうかね」 と声をかけた。
 そば湯のおかわりをして、店を出る時、奥さんが「アドバイスありがと、次からこれもテーブルに出しとくから」と言って、ビニール袋に入れた一味を渡してくれた。お礼を言って、ありがたくいただいた。
 こちらも名乗ったわけではなく、相手の名前も知らない。もう会うことはないかもしれない人とのこういう無名性の出会いがあるから旅は楽しい。おそば屋さんの向かいには、東京ではもう終った藤の花がきれいに咲いていた。
 ここから先の道はしばしば工事通行止めがある林道である。今日はどうやら通れそうだと先へ進む。すると、道の真ん中に、ドンと大きな落石があった。すぐには動かせない重さのようで、前にパイロンが立てられ、黄色と黒のテープでぐるぐる巻きにされていた。
 「バイクでよかったね」と通過し、道の端の落石や木端に注意しながら徐行し、しばらく行くと、木洩れ日の先に鹿がいた。こちらを見ている大きな一頭と、そのうしろに小さな二頭。バイクを静かにとめると、先頭の鹿が道から脇の斜面に降り、小さな二頭も静かについて行った。山の斜面には山つつじとやまぶきの花が鮮やかに咲いている。更に林道をゆき、昼頃、前日光高原へ到着した。バイクを降り、ストレッチをして、井戸湿原散策に出発した。ここのつつじが目的だったが、自然は思うようにはいかない。少し高度の低いところではよく咲いていた山つつじは、まだ固いつぼみだった。
 かわりに湿原で水芭蕉が花を見せてくれた。コバイケイソウのプリーツスカートのようなひだひだの葉の群生も美しかったが、まだつぼみをつける程には成長していなかった。6月に入った頃、時間が取れれば、もう一度訪れたい。
 井戸湿原から少し下に降り、同じ粟野町内のつつじの湯へ行く。以前は町内の人と町外の人は別料金だったが、今回、一律500円になっていた。町外の人には100円の値下げである。店主が、受付のご婦人に尋ねると、
「わざわざ遠くから来たのに高いんじゃ悪いからね、いっしょにしたの」と答えてくれた。ありがたい。入浴前におそばをいただく。ここも手打ちそばだ。本日2食目だが、水がいいからそばがうまいのだ。
 露天風呂に入って、「ア、ここだった」と思い出した。数年前、この露天風呂で、一人のおばさまに、「どこから来たの」と声をかけられた。「東京から」とこたえると、「うちも娘が東京にいるの」と話がはずみ、佐野から来たというおばさまに、佐野ラーメンのお店を教えてもらった。
 「うちで行く時はいつもここなの、娘の友達が来た時も、ここへ連れて行くと好評よ」と言う。お風呂を出て、その日の内に行ったっけ。確かに美味でボリュームがあり、あれから何回行ったかわからない。
 かばんに入った一味のお土産と同じ、あれも無名性の旅の出会いだった。
 帰路、この世は様々な善意で成り立っているんだなと、しみじみ、うれしく感じた。

5月11日
 無情で無常な一週間だった。
 「晴天のち雷雨」の連続で、痛んだ東日本に追い打ちをかけるような竜巻被害まであった。
 昨日は、天気が許せば、津波による消失から再建なった茨城・五浦の六角堂を見に行こうと思っていたが、天気予報をみて断念した。
 朝はすばらしく晴れているが、午後にはまた荒れるという。気持ちを切り替えて、家でプランターの植え替えをした。
 よく咲いてくれた春の精たちにお礼をいって、純白のジャスミンのアーチの下に夏を呼び込む。
 気持ちもさっぱりして、家に入り雨を待った。予報より早く、空が暗くなり、雷鳴が聞こえる。
 できればもっと穏やかにやってもらいたいけど、天に声が届くわけではないので、ていねいに淹れたコーヒーでも飲みながら、季節がゆくのを黙ってみている。

5月5日
 5月の声をきいて、堀切菖蒲園の駅舎にもつばめがやってきた。今年さいしょにつばめを見たのは、4月10日だった。千葉の館山道の市原サービスエリアのトイレに入ったら、頭上でにぎやかな声がした。昨年の巣はもうすっかり清掃されていて、飛来したものの巣はなく、どこに営巣しようかと何組かのつばめ夫妻が話し合っていたのだった。
 その後も旅先で、幾度かつばめの姿を見たが、地元の巣は静かで、今年は堀切には来ないのかしらと気にかけていた。
 律義に季節を告げに来てくれた夫妻に感謝。
 昨日4日はみどりの日で、都立庭園が無料開放されたので、開店前に向島百花園へ行ってみた。竹林に、すっとスマートな今年の竹が生えている。すでに1メートル余りの背丈があるが、まだ竹の子と同じ黒い皮に包まれて、てっぺんに黄緑の新芽をたたえている。もう「竹の子」とはいえず、「竹の青年」と呼んでみた。
 先日、堀切菖蒲園の池でカメの子もみかけた。とても小さいのに、池の真ん中の岩場のてっぺんに乗って甲羅干ししていた。
 思わず笑顔になってしまう仕掛けが方々に散りばめられた5月の景色である。

4月のユーコさん勝手におしゃべり
それ以前の「おしゃべり」