ユーコさん勝手におしゃべり

9月25日
 バッタがいた! シュッと細長い顔を天に向けていた。
 毎年、店横のプランターにひとつふたつバッタが住む。いつも姿が見えるわけではないが、朝の水やりとか、ふとした時に天を仰ぐ細面を見かける。
 「ア、いた」 と楽しくなる。冬になると逝ってしまうが、次の年には子孫があらわれる。
 それが今年は、なかなか出てこなかった。土の入れ替えや殺虫で消滅してしまったものと半ばあきらめていた。が、おとといの朝、サフィニアの枝の上に見つけた。はじめはゴミが付いているのかと思った小さい一匹。体は小さいがキチンとオンブバッタの形をしている。
 「今年も帰ってきてくれてありがとう」 と挨拶した。
 あれから姿を見ないけれど、ちゃんと育っているかしら。
 昨日は、朝一番で向島百花園に萩のトンネルをくぐりに行った。園内の道をぐるぐる廻り木洩れ日のトンネルを、都合5回は通った。
 園内にジンジャーの純白の花が咲いていて、くちなしによく似た芳香を放っていた。公園の受付の方に聞くと、「ショウガ科だが花の観賞用で、食べる生姜とは別のもの」だそうだ。帰宅後調べると、みょうがもショウガ科だとわかった。画像を見ているうちに、みょうがが食べたくなって、冷蔵庫の野菜室に入れてあったみょうがを刻み、甘酢漬けにした。熱湯に入れると白けた色になるのが、甘酢に入るとぐんぐんピンクに発色する。出来上って夕方口に入るころには、輝くピンクに染まっている。
 「なるほど生姜と同じ反応だね」と言いながら、到来物の新米と一緒においしくいただいた。
 秋の恵みに感謝。

9月22日
 台風が通り過ぎた朝、店の前の道路はいろんなところから飛んできた葉っぱや枝やポスターの切れ端が散っている。店の横の地面はヤマホロシの白い花びらだらけになっていた。戻ってきた日ざしの下で、それらをほうきで掃きながら、
 「萩が見たいな」 と思った。
 9月になって時期は来たけれど、残暑で今年は「萩を見に行きたい」という気分になれずにいた。それが今朝急に、「萩のトンネルをくぐって違う世界に行きたい」と思いついた。
 台風が、弱ってきた夏の花にとどめをさした。肌に感じる空気が変わった。時期でなく時節が来た、ということか。週末は、時間を見つけて向島百花園に萩のトンネルをくぐりに行こう。
 今、荒川の土手からは、雪がない青黒い富士山が見える。冬には見えるところいっぱい下まで雪で真っ白だった。すっかり夏に慣れた体に、これから冬がやってくるのかと不思議に感じる。
 日本には四季があると実感する、中間点の彼岸の候だ。
 昨日は、二つの展覧会に出かけた。
 ひとつめは、汐留ミュージアムの「濱田庄司スタイル展」。そこから銀座へ出て、松屋の「柳宗悦展」へ。
 濱田庄司展へ入る前、入り口で展覧会の概要のビデオを見た。その中の、昔撮った白黒映像が印象的だった。
 目の前にある色が白黒になることを前提として撮影されるだけに、それをどう見せたいか、この人物がどう映るかに腐心して、撮ったのだろう。その意図が強く感じられてモノクロのフィルムから、色や膚のきめが伝わってきた。
 様々な展覧会で同様のプロモーション映像を見る。どれもリアルな総天然色だ。それがあたりまえになっていて、かえって色のことなど忘れていた。何でもありのままに、そのまま届ければ届く、というものではないらしい。
 新橋でランチをとって、「柳宗悦展」へ。雨が時々強くなる。
 会場では、
 「便リアリ  佛イト 忙シト」 に、足がとまった。柳宗悦の「心偈(こころうた)」のひとつで、宗悦が病床にあった時に、棟方志功が見舞いにおくった連作板画の中の一枚だ。
 「まだ 逝くな」 という切なる気持ちが感じられて、私個人の勝手な解釈だが、見舞いの一枚として逸品だった。
 展覧会のはしごをして、上野で甘味をいただき、台風が来る前に帰宅した。そんな日和だったので、どこもすいていて、ゆっくり観て、味わった半日でした。

9月14日
 昼間はまだまだ暑い日が続くが、朝晩はぐんと涼しくなった。
 先日朝目覚めた時に、部屋の隅の温湿度計を見たら、26度・60%と表示されていた。何日か前の新聞に、安眠に最適な室内環境として書いてあったのと、ぴったり同じ温度湿度だったので、「どうりでよく眠れると思ったわ」と、納得した。
 今年は中秋の名月と十五夜が重なる珍しい年だった。その当日の12日の夜、店主は、何年か前に区の天文講座で自作した望遠鏡を持ち出して月を観ていた。
 曇っていて星は見えないのに、月だけが明るく、くっきりと見えた。店主が「見てみる?」と望遠鏡を貸してくれるが、例によってそこにあるはずの月がなかなか望遠鏡の穴の中に入ってくれず見つからない。しばらく試して腕も疲れた頃、ようやく見えた。フライパンの中でホットケーキが焼ける時のように、ブツブツ、テンテンしているのがクレーターだそうだ。裸眼で見る方が中秋の名月っぽい、とすぐに返却した。
 長びく残暑で、休日はまだまだ避暑したい。が、仕事に追われてそう遠くへも行かれないので、近くて一番高いところ、と考えて、桧原村の都民の森へ出かけた。
 朝バイクで出れば、2時間で着く。そこからハイキングコースで森の中を上へ上へと歩く。風がどんどん気持ちよくなってゆく。清々しい滝を見ながら三頭山へ。見たことのない花々が咲いている。まだまだ知ることがたくさんある。たっぷり3時間、涼風の中を楽しんだ。麓の温泉に入って、暗くなる前に帰宅。
 帰宅後合ったご近所の方に、
 「今日は、暑かったわねぇ—」と挨拶され、
 「そうですねぇ、いつまでも暑くて…」と応えつつ、心の中で「ごめんなさい」とペロッと舌を出した。

9月6日
 今度は熊野古道か—。台風12号は和歌山・奈良に大きな被害をもたらした。
 「一生に一度は行きたいね」と人々の口の端にのぼるような所が、日本中にいくつもある。今年に入ってそのうちのいくつが、天変や地異によって姿をかえられたろう。
 毎年のように通い、いつまでもあると思い込んでいた茨城県五浦の六角堂は、3月の震災による津波で跡形もなく流された。その他海岸の多くがその情景をかえた。
 日本は災害の多い国だ。文明の力に覆いつくされ、防災の名でつくられたベールで見えなくなっているだけだった。
 今、店で明治時代に発行された風俗画報の整理をしている。連日、当時の月刊誌を手にし記事をみる。昭和に出された復刻版だが挿画や写真は当時を写している。服装や髪形が違うだけで、表情や自然の描写は現在とかわらない。そして、何号かおきに災害の記載がある。日本の国土は、こんなにも流されつぶされてきたのだった。
 地名に覚えのあるところが多い。最近の被災地と同じ場所であることが多いのだ。愛着を捨てず、何度でも立ち上がってきた様がよくわかる。
 今年に入って、「一生に一度は行きたいね」候補の中から、滋賀県琵琶湖の水郷・古寺めぐりと尾瀬散策に出かけた。5月の近江八幡は白い野茨の香りを思い出す。尾瀬は空だ。大きい空が小さい池々に深閑とうつっていた。
 四国の遍路にもいつか行きたいと思っている。
 どうか失われないでほしいと願う土地の姿が、いくつもいくつもある。

9月3日
 朝、店横のドアを開けて外に出ると、細身の若い女性と目があった。たまたまそのご婦人が通りがかりに店横の小庭を眺めていて、植物づたいにこちらをのぞきこんだところに私がひょろりと出てきたのだった。ハタと目があって、お互いなぜかテレくさく、目礼した。
 あいまいな笑顔の一瞬があって、その方が
 「何種類くらい植えてあるんですか」 と声をかけてくれる。
 予期せぬ質問に
 「あぁ…と…何種でしょうか。でもそんなにはありませんよ。単純な造りの庭ですから」 と応えた。
 夏の間にすっかり伸びて、ワサワサと垂れかかる時計草やヤマホロシ、ジャスミンにノウゼンカズラのつるを見上げながら自然と笑顔になる。
 「ここを通るの楽しみにしてるんですよ。時々見に来るんです。」と言ってもらって、亀のエサを手に、「ありがとうございます」と頭を下げた。
 手入れを怠り過ぎないように、たまに妖精が人の姿を借りて様子を見に来るのかもしれない、と思わせるような、初恋のようなドキドキ感のある会話だった。
 励みをいただいて、ありがとう。

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