ユーコさん勝手におしゃべり |
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12月28日 今日、月を見た。店主が、秋に地元の博物館の天文講座に通った際製作した望遠鏡を持って外に出た。閉店前、明るい月が出ていた。「クレーターまでよく見える」というので真似をしてのぞいてみたが、肉眼ではすぐそこにはっきりみえるお月様が、望遠鏡越しではなかなか見つからない。「いないよ」というと角度を指示して「これで大丈夫」と教えてくれるが、そこにあると思った月がなぜか枠内に入ってくれない。「下手だなあ」といわれながら微調整を繰り返し何とか月をとらえた。見えれば、うれしい。 見るといえば、東京スカイツリーだ。静かに着々と背を伸ばしているようで、少し出歩くと、「あらこんなところからも見えるわ」という風になってきた。店の近くの荒川にかかる堀切橋からは数年前まで冬になるとくっきりと富士山が見えたものだが、今は対岸の再開発でニョキニョキ高層マンションが建ち隠れてしまった。かわりに土手からスカイツリーが現れるようになった。まだ今の三倍ほどにもなるらしい。先日車で出かけたら、東京タワーとスカイツリーの両方が視界に入ってきた。「ちょうどどちらも見られます」というのが売りのマンションも増えるのだろう。 今、仕事では、雑誌のバックナンバーをやっていて、毎日戦前の雑誌を見ている。掲載内容として詳細欄には書けないような小さな記事や、一頁だけのグラビアが面白くつい見入ってしまう。 昭和11年ベルリンオリンピックにむけての聖火ランナーの写真がある。ギリシアの街を走っているが周りに人は少ない。ギリシアの衣装(スカート)をはいた男性が田舎道をたんたんと走る図だ。テレビがない時代だから、世の皆が野次馬となって一人のランナーをとり囲むということはなかったのだろう。今世の中は多様化の時代だというけれど、昔のほうがずっと人の暮らしや心情は多様だったのではないかと感じた。生きるため食べるために精一杯な人が多かったから、趣味だレジャーだと気を回す余裕も必要もなかったが、逆に情報に振り回されることもなく、自分たちで作った衣服を着、自分の周囲で作ったりとれたりした物を工夫してそれぞれの味で食べていた。 全国誌ができ、ラジオ・テレビ、そしてインターネットが普及し、人々は簡単に一つ所に集まったり、同じ方向をむいたりするようになった。人気とか世情ということばの価値や使用頻度はどんどん上がった。年末、買い物客でにぎわうショッピングモールで、人気の服屋のレジに並ぶ人の数を見たら、ちょっとくらくらした。 明日も、旧式の月のうさぎが逆さに映る望遠鏡で月を見よう。そして、忘れられつつあるが自分にはお気に入りの本を読んで寝床に入ろう。 12月17日 先週は、雨が降ったり乾いた晴天になったり、めまぐるしく天候の変わる週だった。寒波と大雪のニュースがやってきて完全に冬らしい今週になってみれば、あれは季節の変わり目の天の逡巡だったのだとわかる。 そんな秋の終わり、小春日和の先週の木曜日に、千葉の手賀沼へ出かけた。以前、鉄道のフリーペーパーで中勘助仮寓跡の記事を見て、一度訪ねてみたいと思っていた。実際出かけることになって、早速中勘助全集から「沼のほとり」の巻を取り出した。そして出だしの一行を見たとたん、唇がほころんだ。大正九年三月四日と書いてある。三月四日は私の誕生日だ。まだ私の親さえも生まれていない数十年も前の三月四日に、勘助がこの記を書き始めたことの偶然によろこぶ。ファンなんて他愛もないものだとちょっと苦笑しつつ。 行ってみると、手賀沼のほとりは見所満載だった。志賀直哉邸跡の前に白樺文学館があり、歩ける距離に中勘助の仮寓だったところがある。敷地内は民家なので入れないが、門が残っている。時を感じさせて今も現役の木の門と門へつづく道は多分当時のままで、勘助がこの家の2階からこの小道を行き来する人を見つめていたあれこれの描写が頭に浮かび、愉しい。沼の周辺は開発も進んでいるが要所要所は意識的によく保存されており、特に旧家の門が美しく残っている。田畑も多くあり、時節がら、大正九年十二月三十一日の記が陽気に思い浮かぶ。 頬かむりの婆さんが 枡のなかからつまみだす からからのそら豆 ほりかへした畑の 穴ぼこになげこまれる ひからびたおまへが 春になってあの美しい花をさかすとは おらあ不思議でなんねえ 散策を終え自宅に帰ってから、ゆっくり「沼のほとり」を再読した。時代を感じさせないきれいな文章に浸る。さいごに勘助の苦言をひとつ。 「子供のじぶんには白鷺もあまり珍しくはなかったが近頃はめったに見かけなくなった。人間はいろいろなものを征服して結局自分がさみしい、つまらないものにならうとしている。鶴もこうのとりも跡を絶ったこのごろではあの長い脚をうしろへのばしてたをたをと あてやかに羽うってゆく鳥は白鷺ぐらいなものであらう。」 反省します。 12月5日 亀 眠る。 11月さいごの日、出会う人が口々に「寒いね」と挨拶を交わした。外の水槽の亀も、先日拾ってきた落ち葉の中にすっかりもぐりこんだ。それまでひなたぼっこの姿を見せてくれていたが、いよいよ冬を感じたらしい。 それからは時々カサカサと葉っぱのおふとんの中で動く気配があったが、4日の朝水槽の端に見えた彼の顔は目を閉じていた。今朝木の葉ふとんの下に土を補充し、葉をかけて、パンジーやビオラの花も少しまぜて、日蔭の棚の中に彼をしまった。13回目か14回目の冬眠がはじまった。亀の水槽のあった場所には、冬珊瑚のプランターと、水仙とムスカリの鉢を置く。亀氏が目覚める頃まで目を楽しませてくれるので、毎年のローテーションになっている。 今年は亀の声も聞くことができた。また来春、ひと回り大きくなって会えるのが楽しみだ。 11月のユーコさん勝手におしゃべり |