ユーコさん勝手におしゃべり

6月28日
 カメ産卵。
 いきなり猛暑がやって来た。 ま、しばらくの辛抱か、と思っていたら、「梅雨明け宣言」までやってきた。
 梅雨前線は、太平洋高気圧に圧倒されてしまった。
 6月に入ってから、妊婦態勢となり、エサも食べずに落ち着きなく動き回っていた飼いカメは、今朝卵を産んでいた。
 例年なら7月に入ってからだが、やけに早かった梅雨明けと同時に産卵した。人には異常と思われた今年の天候変化を、カメはすでに知っていたのだろうか。
 あいかわらず、卵を産むまでは難儀そうだが、出した後は知らん顔で、平気でふんずけて割ってしまう。
 今朝も小庭へ出たら、カメの水槽が白濁していて気付いた。 水の中で6個ほど産んだらしい。殻はみな割れていて、ひとつだけ水槽から飛び出ていたのが、形を保っていた。
 「それより何より、お腹すきました。お腹ペコペコです‼」
 と、カメは水槽の水をバチャバチャはねかして騒いでいる。
 水槽を洗ってカメの体も洗い、エサをやると、普段の五倍ほども食べた。卵でいっぱいだった甲羅の中に、胃袋が戻ってきたのだ。
 カメは未明に卵を産む。
 実は今日、朝早く外へ出たのは、バイクでツーリングに行く予定だったからである。カメにエサをやり、花壇に水をやって、猛暑の東京を、赤城山へ向けて脱出した。

6月23日
 何を着て寝たらいいのか、何をかけて寝たらいいのか。寝間着や寝具に悩む季節の変わり目である。
 熱いと寝汗がすごいし、冷えると足がつる。昔は寝るときのカッコなんて、気にせず朝まで眠ってた。
 昨日、店で新入荷の本を整理していたら、『さらば国分寺書店のオババ』の初版があった。
 「なつかしい」 と私が声をあげると、店主が言う。
 「だろ? もう一回読んでみれば? 出た当時と感想が違うかもしれないよ」
 「あのころ、自分がオババの側にまわるとは、思ってもみなかったよ」
 と こたえると、声を出して笑われた。
 夜中に足がつって目が覚め、水分補給の麦茶を飲みながら、昨日の会話を反芻したのだった。

6月21日
 夏至、なのである。 カレンダーに「夏至」と書いてある。
 そういえば、タコを食べた。スーパーのチラシにのってたから買ってタコ飯にして、刺身にもしてたっぷりいただいた。夏至、だったのか。
 昼が一番長いといっても、実感がない。日の出、日の入りのグラフを見たら納得できた。
 日の入りが一番遅くなるのは、も少し先なのだ。暗くなるのがまずまず遅くなったとは思っていたが、まだ ちゃんと先があった。
 自分の起きる時刻が早くなってゆくのもわかっていたが、そのピークはもう過ぎていて、日の出が一番早い日はもう おわっていた。
 今日が最も昼の時間が長い日、ではあるのだが、日の出のピークと日の入りのピークは、どちらも今日からは少し前後にずれているのだった。
 そんなことも今まで知らなかったなんて、恥ずかしいけど、今年ひとつ知識が増えたことがうれしい。
 もしかしたら、知っていたけど忘れてしまったのかもしれない。そしてまた、いつかの夏至や冬至の時に…。 年に二度しかない出会いだから、毎年新鮮に向き合えるってことだ。
 早朝に、夏を元気に乗り越えられるように、草花の切り戻しをした。

6月12日
 6月6日に関東地方が梅雨入りしたと気象庁が発表した。それを聞いた時は、「とりあえず言ってみただけ」でしょと思っていたのだが、今年は違った。
 「6月6日に雨ザーザー降ってきて…」という絵描き唄「かわいいコックさん」の歌詞どおり、この一週間連日どこかしらで雨が降っている。不安定な天候に遠出はできず、おかげでせっせと地元の堀切菖蒲園へ通うこととなった。
 梅雨入りと同時に満開となった花菖蒲は、上手に満開状態をキープしている。今週末の菖蒲まつり終了まで見頃は続くだろう。
 菖蒲に紫陽花、雨の似合う花もある。
 とはいえ、今年は降り過ぎだろう。お日様の恵みのないことに、お米や野菜の生育具合が気にかかる。気温も低めで、薄い長袖一枚でちょどいいので体は楽だが、人間はゼータクなものだ。
 台所の窓辺に小葱が一本飾ってある。
 先日小葱を切っていた時、空いた七味の小ビンが目に入った。七味の出る穴が小葱の太さと同じくらいかなと思いつき、根元を挿してみた。ヒヤシンスの水栽培みたいな見た目になった。毎日ひょろひょろと伸びて成長が面白い。
 そろそろ刻んで食べようかな、と思っている。


6月1日
 よく晴れた朝、店主のバイクの後ろに乗って、東北自動車道を北上する。長かったコロナ禍にようやく収束がきざしてきた。身も心も旅に出る季節の到来だ。
 収穫を待つ麦畑と、田植え後の水田、高速道路の両脇に黄金色と緑色のバッチワークがつづく。白い鷺が飛んでいる。
 高速を佐野田沼でおりる。脈々と酸素をつくり出す森林に向かってバイクは進む。小高い丘を貫くトンネルの中は、とびきり涼しい。身体がビリビリするような温度差に、自然の山を体感する。首都高速道路のトンネルはモアっと熱い。
 郊外の農村や里山に、こんなにも支えられて生きているのだ。旅に出るとそれがわかる。
 おいしい蕎麦を食べて、温泉に浸かる。
 ひなびた温泉に立ち寄ると、「ボイラーが壊れてしまってシャワーが使えない」 と入口で受付の人が詫びていた。源泉かけ流しで湯量はたっぷりなので、湯船に浸かる分には問題はない。 ゆっくり風呂に入り、休憩して帰った。出がけに受付の人に、
 「いつ 直りますか」 と聞くと、
 「それが、今、センソーでボイラーの交換品がなくて、目途がつかないんですよ」 という。
 我々の生活はいろんなものに負うている。
 天然の景色にも、世界情勢にも無意識に寄りかかって、知らないうちに加速度がかかっていたことを、コロナとセンソーが知らしめてくれた。
 時々栗の花のいい香りがする帰り道、中勘助が大正時代に書いた文章が思い出され、心の中で反芻した。
 「子供のじぶんには白鷺もあまり珍しくはなかったが近頃はめったに見かけなくなった。
人間はいろいろなものを征服して結局自分がさみしい、つまらないものにならうとしている。
鶴もこうのとりも跡を絶ったこのごろではあの長い脚をうしろへのばしてたをたをと あてやかに羽うってゆく鳥は白鷺ぐらいなものであらう。」 (中勘助 「沼のほとり」より)

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