ユーコさん勝手におしゃべり

10月28日
 やっと来た好天の一週間、神奈川近代文学館へ「大岡昇平の世界展」を観に出かけた。
 今年に入って、東京では雨の降った日が200日を超えている。あと二ヶ月余り残して、すでに年の半分以上が雨降りで、何かをあきらめることの続いた年だった。
 その思いを吹き飛ばすような小春日和、店主とバイクで東京ゲートブリッジをのぼり、横浜ベイブリッジを渡る。目的地の神奈川近代文学館は、港の見える丘公園の中にある。ちょうど秋バラの季節でもあり、気骨のある庭の実力というものを見せてもらった。文学館入口に向かうイングリッシュガーデンは、丈短いものは低く、丈高いものはきっちり高く、青い花白い花が図った通りにひろがり、赤系の花のアクセントと調和している。
 土壌へのたゆまぬ注力が感じられ心地よかった。
 そして、大岡昇平の世界展である。気をそらせぬ良い展示だった。文学館を出るときには、「出来うる全てをやりきった人生」の充実感が、自分の中にも入り込んでくるようだった。
 昼食をとりに中華街へおりる。行く店は決まっているのだが、今年初めての訪問で、周りの雰囲気が変わっているのに驚いた。見ると、向かいの店もその隣りの店も経営が変わっていた。店主の代替わりにコロナ騒ぎが追い打ちをかけたのだろう。
 とりあえず、いつもの店のかわらぬメニューに安堵していつものランチをいただいた。
 昼食後は、横浜みなと博物館の柳原良平アートミュージアムを観て、帆船日本丸をゆっくり見物する。
 船上から見上げる空はひろい。
 中華街はGO TOキャンペーンのおかげか人がたくさんいたが、博物館も日本丸も、ほとんど貸し切り状態だった。
 帰り道、横浜の実家への行き返りに時々通る羽田空港の横の道を行く。JALとANAばかりがとまっている中、久しぶりに複数の海外の航空会社の飛行機を見た。
 コロナウィルスを境に、変わるものと、変わらないもの。地に足のついているものと、ふわふわ流されてゆくもの、そして自分はどうなのだ、と自問する。
 せめて、ていねいに、生きたい。

10月4日
 旅に出ていない。
 去年までの、月に一度は気楽にどこかに泊まって、天気を見ながら、バイクに乗って、あるいは自転車で、車で、という生活が、どこか遠い国のことのようだ。
 旅のことを思い出す。そこで出会って話した人とは、もう二度と会うことはない。顔も覚えていないから、もし会ってもわからない。でも話したことは、心に残っている。
 たとえば旅先の露天風呂の中で聞いたおいしいごはん屋さんの情報。
 忘れないように、さっさと服を着て、脱衣場で店名をメモり、その日のうちに食べに行く。おいしかったら何度でも、その地方に行くたびにそこで食べ、いつの間にか店の人に顔を覚えられていたりする。
 今まで日常だったが、思い出すくらいだから、思い出になってしまった。 「新しい生活様式」では、露天風呂には無言で入り、道の駅のベンチではいっこおきに座るのだから。
 コロナ禍のおかげで店を早く閉めるようになって、早寝早起きが身につき、庭づくりに精を出せることは、予期せぬ収穫だった。

10月1日
 店横の小庭づくりが継続中である。
店主は、わいてくるアイディアに対応しきれず、
 「もうイヤだ、つかれた。」
 といいながら、設計図を書き直す。材木を切り、調節しながら思いを形にしていく。
 「どっか行きたいなあ」 といいつつ
 「明日は、コレやんなきゃ」 と翌朝のスケジュールを自分で埋めて
 「どっこも行けないなあ」 という。
 私は、日々増えてゆく木に、せっせと塗料を塗る。0.7リットルのペンキ缶も2缶目に入り、ようやく完成がみえてきた。 店主は木を切り、組み上げるたび
 「もう これで終わりだ」 というけれど、遠目から見ては微調整が入り、また翌日の課題となる。
 「そろそろ植物の準備をしてもいいよ」 と言われても、はじめは雲をつかむようで、ただ言われるまま動いていた私も、ハードが出来てくると、
 「ああ、ここにこれを植えて」 と具体的にイメージがわいてきた。
 春にならないと売り出さない苗もあり、半年一年計画で、新しい小庭をつくっていこう。
 飼いカメの方はもうすっかり新環境に慣れて、店番をしていても 外から、道行く人と会話している(?)のが聞こえてくる。喋っているのは人間だけでも、話しかける人にはカメの返事が聞こえるのでしょう。
 実際、秋のカメはギュとかキューとか、よく鳴きます。

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