ユーコさん勝手におしゃべり

6月28日
 6月は上を見てすごした。
 堀切菖蒲園駅の前を通るたび、つばめの巣を見上げるのが習慣になっている。6月に入って変化のない日々が続き、1回目の子育て中に崩壊した巣を改築強化してはじめた子育て第二弾のゆくえを案じていた。
 もうひとつ、天からの出会いは、6月9日、荒川沿いの自転車散策で立ち寄った木下川薬師にあった。阿吽の仁王像のある山門を入ると、花の香りがした。立派な藤棚は花期を過ぎているし、どこだろう、と鼻を頼りに進むと、蜂が教えてくれた。
 緑が茂った木に「菩提樹」のプレートがついている。木の下から見上げると、生成り色の無数の小花が下を向いて咲いている。鼻腔が芳香に満たされる。
 「ああ、これが菩提樹か…ブッダが悟りをひらいた木。それで仏教にお香がつきものなのね。」 とその時は単純に感動し、しばらく木の下で丸花蜂が忙しく働いているのを見ていた。 帰ってから調べると、インドの菩提樹と日本の寺の菩提樹は、気候の関係で違うものらしい。
 それにしても、半月たった今でも目を閉じて上を向くと、レース細工の様な可憐な花形と豊かな香りがよみがえる。
 そして、つばめ、である。5・6日前に、まだ白いうぶ毛がポヨポヨはえただけの丸顔がひとつあった。親鳥が来た時、かろうじて顔の上半分くらいが見える。
 「一人っ子?」 その一羽以外の気配はなく、親鳥が来る時以外、巣は静かだった。
 それが昨日、巣は一気ににぎやかになっていた。黒い頭が親の飛んでくる方をいっせいに見ている。いざ親が来ると、顔の半分が赤い口の中になる程大きく口を開けてエサを待っている。見えただけで4羽、5・6羽はいる様子だった。もう安心してみていられる。つばめは今年も、2度の子育てをやり遂げるだろう。
 2020年は、あれよと思う間に、半分過ぎた。半年を振り返って、
 「今年は、いちごジャムをつくらなかったな」 と思う。
 ジャムにしたいと思うような、安くてどっさりあるいちごに出会わなかったのだ。郊外に出ないことの影響は、こんなところにあらわれる。
 道の駅や直売場、偶然出くわすちょっとしたお祭り。近い過去には身近だったものが、今は遠くなった。
 また近い未来のうちに…、と願っている。

6月20日
 歓声が戻ってきた。
 コロナで自粛中も、自転車で荒川土手へ行っていた。密にならないし、川沿いの道を海まで行ってくるくらいがちょうどよい運動になる。
 早春から土手のグランドにユニフォーム姿が消えた。自由なかっこで、数人ずつが自由に遊んでいる。最初は違和感があった光景も、3か月も続けば、目が慣れてくる。
 そして今日は、様々な自粛要請が解除された最初の週末だ。道路から荒川土手に上ると、目の前のグランドを、野球のユニフォームを着た少年たちが埋めつくしていた。この面にも、その次のグランドにも、その次にも、野球やサッカーのユニフォーム姿が、整列したり、声を掛け合って練習したりしている。
 今まで空だった土手の駐車場にも、車が止まっている。
 「別の国に来たみたいだ」 と思った。 いや、「別の時代」に来たみたい、か…。
 ウィズコロナでそろりそろりと幕を開けましょう、とおかみやメディアは言うけれど、一人一人みんな待っていたんだ。
 じっと黙って、でもいつかまた自分の好きなことを胸を張ってできる日を、準備怠りなく、待っていたんだなぁ。
 一気に動き出した街を、もう誰も止めることはできないだろう。
 立ち寄った公園の広場では、手作りの凧がとび、紙飛行機が滑空し、大きな輪っかから無数のシャボン玉が舞い上がっていた。
 蝶を追う子どもたち、ユニフォーム姿の円陣バレー、集って準備体操するランナーたち、土手から聞こえてくる楽器の音、梅雨の晴れ間の土曜日、今まで我慢していた人々のエネルギーのかたまりが、青空に浮かんで見えるようだった。

6月14日
 電車に乗った。
 いつものように京成電鉄 堀切菖蒲園駅から日暮里でJRに乗り換える。JRのホームに向かう階段を、若いパパとリュックをしょった3歳くらいの男の子が、私と一緒に降りた。男の子が、
 「あ、東海道線だ」 と線路を通り過ぎてゆく電車を指さす。男の子のリュックは電車型で、背に「梅田・特急」と書いてあり、横にHankyu denshaとあった。階段を降りきる前にパパが、
 「山手線と京浜東北線とどっちで行く?」と聞くと、男の子はちょっと考える。私たちの向かっている9・10番線は東京方面行の2線が乗り入れている。山手線の方が早く来るアナウンスを確かめて、男の子は、
 「京浜東北線」と言った。ホームでパパが、小さいカメラを取り出し、
 「ちょっと待っててね。日暮里駅の写真撮るから」 と言い、男の子は向こうの線路を電車が通るたびに、「あ、常磐線来た」「京成電車も来たよ」と指し示している。
 やがて来た京浜東北線に乗る。私も電車好き親子の会話が楽しくて、同じドアから乗り込んだ。パパが、
 「総武線と中央線、どっちに乗る?」と聞く。男の子は答える前にドアの窓から見える景色に夢中で、
 「あ、東海道線止まってる。」「パパ、はやぶさだよ」 と明るい声を出す。
 電車が上野を過ぎてから、パパは男の子の電車型リュックから小さいマスクを出して、「マスクしよ」と男の子につけた。平日は人手が戻ってきた都内だが、日曜の駅や電車はまだすいている。とはいえ、都会に近づくと小さい子にもマスクはいる。
 「総武線」 と男の子が思い出したように言う。電車は秋葉原の駅ホームに入り、「じゃあ、総武線に乗り換えよ」と、親子は手をつないで降りて行った。
 ずっと休んでいた鉄道博物館も再開したと昨日ニュースで見た。
 電車が大好きな男の子は、今まで随分我慢してたんだろうな。
 それとも、おうちでパパと動画や本を見てお勉強してたんだろうか。
 楽しそうな後ろ姿に、こちらまでうれしくなった。

6月13日
 記憶違い、ということがある。
 ちょっと確かめればわかることなので、自分の中で何度も訂正したはずなのに、最初の印象が色濃く脳に残っていて、もとに戻してしまう。
 おとといの朝、店主と堀切菖蒲園へ散歩に行き、園内を一周した。あじさいの花壇の前のベンチに座ると、すずめの子がいた。顔の模様はまだはっきりせず、全体が茶色っぽい。あじさいの根元をチョンチョンとび歩いて遊んでいる。ジャンプして葉の中に隠れたかと思うとゴソゴソ動いて降りてくる。大人のすずめは顔の柄が白黒くっきり美人さんだが、子どもの柄もまた可愛い。
 「源氏物語」の若紫の章を思い出す。のちに紫の上になる少女が「雀の子を犬君が…」と尼君に訴えるシーンだ。すずめの子を見ながら店主に源氏物語の話をした。
 以前にも同じようなことがあったな、と思い浮かび、店に帰ってからこのセリフを検索する。
 「雀の子を犬君が逃がしつる」は、若紫が、同年代(満8・9歳)の召使の女の子「犬君」のしわざを祖母の尼君に訴えるシーンだった。
 「ええっ!」
 と 私は驚く。私の中で犬君(イヌキ)は、少女ではなく本当の犬、それも子犬だった。そして私の脳内の若紫のセリフは、「雀の子を犬君がいじめるに…」である。
 伏せ篭のそばに来る子すずめを楽しみにしていたのに、子犬が出て来て邪魔をしてしまう、という絵が出来上がっている。
 しかし実際は、かごに入れ可愛がっていた子すずめを犬君(人間の犬ちゃん)がうっかり逃がしてしまうシーンだった。源氏物語絵巻でも、足に赤いひもを結わえたすずめが飛び立つのを人々が見ている絵が描かれている。
 いったいいつ、イヌキは少女から犬に、過去形の「逃がしつる」は現在形の「いじめるに」になってしまったんだろう。
 高校の時、谷崎潤一郎訳「源氏物語」を熱心に読んだ。中公文庫で読んだ時点では正しく伝わっていたはずなのだ。
 「若紫」は古文の授業でもやった。かなうことなら、その時の授業のノートを見てみたい。教科書ではなくノートだ。私は何を受け取って、その授業をどう書いていたんだろう。いつ私の記憶は改ざんされ、何度戻しても訂正が上書きされなかったのか。
 私はしばし呆然として、店主に菖蒲園で話した源氏の一章はまちがいだった、と伝えた。
 そしてここに文字化することによって、記憶の再訂正を試みている。絵巻の図柄を見たことで、私の脳内イメージが一新され正しい若紫が入って来るかしら。
 知識として本当の文を知ってよかったとも思えるし、長年連れ添った図を手放すことが惜しい気もしている。

6月8日
 月を見ている。
 先週木曜日、いつものように実家へ行き、父に「じゃあ、また来るね」 と言って外へ出た。「満月?」と思ったけれど、確信が持てない。
 「まん丸のお団子を、黒いお皿にポンとのっけたら、ころがらないように下のところがちょっとつぶれて、ちょうどよかったわ。」 といった風情の月だった。
 星のない晩、月をお供に三分ほど路地を歩くと、バス通りに出る。子どものころ通っていたバス停そばの塾に灯りがともっていた。ずっと暗かった建物の中に動く人影が見えた。
 やがて来たバスに乗り、橋を渡る。橋のたもとのパチンコ店の大型スクリーンが、「SPARK」と派手に電光して、先月まで静かだった川面にキラキラとオレンジ色や銀色を映していた。橋の上は月だけだった景色が、変わった。
 翌 金曜日、自宅の寝室の窓から月が見えた。この日も星のない空に、おぼろな満月があった。「これが満月だわ」と安心した。
 今日 月曜の夜半、同じ窓から、色も形も いくらかうずらの卵のようになった月を見る。月は高くて遠いところにある。
 宇宙の中の月と自分を考えるうち、日付はとうに火曜になった。毎晩窓から月が見られる「不思議」と「幸せ」を感じ、眠りについた。

6月1日
 音もなく6月ははじまった。
 雨だったのだ。
 5月いっぱい店を閉めていて、6月から そろりとシャッターを開けようとしていたのだが、1日の朝は、すべての音を吸収するような霧雨が降っていた。
 店舗は雨天休業である。濡れた人や物の出入りから本を守りたい店主によって作られた規則に従い、6月はシャッターの掲示を「臨時休業」から、従来の休業用の貼り紙に変えただけで開幕した。
 晴れた日中、マスクをするとやたらと暑いことを除けば、ほぼ日常が戻ってきた。

5月のユーコさん勝手におしゃべり
それ以前の「おしゃべり」