ユーコさん勝手におしゃべり

10月26日
 自転車で荒川土手をさかのぼり、埼玉県境に近い岩淵水門まで行く。
 赤い水門を通って中洲の公園へ渡った。立派な石碑があり、前面に
「農民魂は 先ず 草刈から」
 とある。裏面には「草刈は日本農民の昔ながらの美風で農民魂の訓練であり発露である。」から始まる由緒が書かれていた。昭和13年から18年まで、この荒川土手で全日本草刈選手権大会が開かれていたそうだ。最盛期には、優勝者には牛1頭の副賞が与えられたという。
 今も、農村に行くと、草刈の光景はよく目にする。日本は緑豊かな土地だが、放っておくとすぐ茫々になってしまうから、自分の土地も公共の道も常に手入れをしている。それが美風ということばになったのだろう。 おもしろかったので、あとで調べようと思って、また自転車に乗って帰宅した。
 いつも出先で、「あ」と思うものに出会うとメモをとる。今回は筆記具も持っていなかったので、メモはとらなかった。インターネットが普及する前なら、草刈選手権の副賞のことまで知ることはなかっただろう。
 今は、たいていのことはインターネットで先達がいて、疑問に思ったことのこたえを記している。石碑や看板の文字列も、以前ならキチンと書いたり覚えたりしなければならなかったが、およその記憶でもパソコンが類推して正しい表記を教えてくれる。
 だから、「あ」と思ったその場で記録できなくても、あまり悔しくはなく、「あとで調べよ」と思える。
 問題は、その瞬間にわきおこった自分の感情だ。
 「あ」と思った時、なぜ「あ」と思ったのか。その正体だけは、その時すぐにメモらないと、しばらくすると消えてしまう。ましてや、家に帰って、石碑の意味や看板の由来の解答を得た後では、人の感想にまぎれて、感情の新鮮さも失せてしまう。
 便利は不便、なのであった。

10月22日
 晴天である。昨日の天気予報は圧巻だった。全47都道府県に晴れマークがついた。二ヶ月ぶりのことだそうだ。
 今年は、世界中がどこか不穏なところに向かっているのではないかと不安になるような天変地異の年だった。
 そんな気分をパッと吹き飛ばすような青い空だ。所用で車に乗ってゲートブリッジを渡ったら、白い雪をかぶった富士山がくっきりと見えた。
 二日続けて、今日も晴天。気温も上って、陽を浴びた背中があったかい。今朝は、堀切菖蒲園へ散歩に行った。
 花壇には秋の桔梗の花とともに、春に咲くマンサクとツツジがいくつか見えた。冷え込みの後、また暖かくなったせいだろう。
 うちの飼い亀も、もうエサを食べなくなって家に入れたけど、この暖かさでまたゴソゴソ動き出した。家の中を散策して、またエサまで食べている。
 植物も返り咲きするくらいだから、カメだって然りだ。
 もう少し小春日和を楽しみたい10月下旬である。

10月15日
 朝晩、どころか昼間も肌寒さを感じるようになり、季節は秋に移った。
だんだん食の細くなった飼い亀は、10月に入ってポツっと真夏日になった7日に2、3個のあさりのむき身を食べたのを最後に、何も食べなくなった。冬眠の2ヶ月くらい前から食欲というものがふっつりなくなるらしい。
 猛暑の夏にはりきって3度も産卵した彼女の、充実の時がおわった。
 気温が下がれば眠る時間が長くなる。店主は
 「寒そうだから、家に入れてあげようよ」 という。私は、
 「寒くなれば寝るだけだから外でいいよ。もう何も食べないんだし、眠ってた方がカメも楽なんじゃない」 という。
 「でも…家でもうちょっとカメと遊びたいんだ」 と本音をもらす店主に負けた。
 夏中 外にいたのに、カメは家の間取りを忘れておらず、自分の居場所をとっとと見つけて陣取った。
 食べること以外の活動はまだ普通にしている。もっと冷え込みがきつくなって動かなくなったら、外の冬眠バケツに移す。それまでに冬眠ふとん用の落ち葉を集めに出かけなければ。
 カメを家に入れた後、小庭の掃除をしていると、何人もの人に、「カメさんはどうしました?」と聞かれた。店主が、カメのいたところに、「カメは冬眠しました。また来年3月ごろ出てきます」 と貼り紙をした。
 家に入っても、脇の道から時折、
 「冬眠したんだって。」 「あら、冬眠したの。」 という会話が聞こえてくる。それを聞いて店主は、
 「カメは友だち多いからな」 と言いながら、カメのお気に入りのラグの隣りに横になり、もぐりこんでいるひざ掛け毛布をめくる。知らん顔で眠っているカメに、店主は何くれとなく話しかけ、カメが水道の方に歩いていくと、桶に水を汲んで水浴させる。冬眠前、カメとのひとときの逢瀬を楽しんでいるようである。

10月12日
 昨晩、寝室で本を読んでいたら、たまたま校庭の場面があり、「雲梯」がでてきた。
 うんてい…雲の梯、だったんだ。 運動場にあるので、「うん」は「運」だとばかり思っていた。
 小学校1年生の時、うんていができない私に、父が校庭で教えてくれた。父が会社から早く帰った日の夕方、がんばったのに結局渡りきれなかった憎らしいうんてい。
 きらいだったはずなのに、あれは「雲のはしご」だと知って、見方が変わった。
 腕力のない私に無理やり運動をさせる道具ではなく、雲を渡る器械だったのか。大人になって、今ならできるようになったうんてい。今度、公園で遊んでみようと思いながら眠りについた。
 今朝、さっそく辞書で「うんてい」を引いて、もとは中国で城攻めの為の兵器だったと知る。そして、「それなら苦手でもいいや」と思う「雲のはしご」だった。

9月のユーコさん勝手におしゃべり
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