ユーコさん勝手におしゃべり

1月31日
 朝、植木に水をあげていたら、隣家の幼稚園生とママが外に出て来た。子どもは、道の脇にまだ残っている雪の山に運動靴を突っ込みながら、
 「今日は 歩いて行けないの?」 と聞いている。ママが
 「あんたが早く起きないからじゃん」 とちょっと怒気のこもった低音で答えた。
 足で雪をつぶしていた子が、私に気付いたので、
 「おはよう」 と手を振った。子どもも
 「おはよう」 と手を振り返す。ママも気付いて、
 「おはようございます。」 と笑顔を向けた。声のトーンが少し明るく高くなった。

 道の端にいくらか残っている先週の雪をたどって、遊びながら行きたかったんだろうな。その分早く起きられなかったのは自分のせいだとわかっているけど…。

 「いってらっしゃい」 と私がも一度手を振ると、自分で自転車の後ろに乗って、ママといっしょに 「いってきます」 と笑顔で手を振った。
 ママとボクが小さなケンカをする前に、たまたま目が合って、緩衝材の近所のおばちゃんの役割を果たせた。何やらうれしい今朝だった。

1月28日
 大雪から一週間がたったが、道路脇にはまだ雪の山が凍りついたまま残っている。
 20数センチとはいえ、関東南部としては異例の積雪だった。そして降雪自体よりも驚きなのは、気温の低さだ。連日朝は氷点下で、昼間も気温が上がらない。
 陽だまりでは、かろうじて陽射しの暖かさを感じるが、一風吹けば風は凍りつく冷たさだ。
 21日日曜日は穏やかな晴天だった。
 22日の月曜日、雪が降り出した時には、まだ高をくくっていた。ホワホワしたかき氷のような大粒の雪で、「夏だったら、どんなに涼しく感じるだろう」 と思いながら窓の外を見ていた。わたあめが降っているようでもあった。
 夕方から積もり始めて、夜半まで一時間おきに外に出て雪かきをした。店は商店街の角地に建っているので、前と横と両方の面倒を見なければならない。慣れないことで、けっこうな重労働だった。
 夜の内に雪はやんだ。
 翌朝、外から、一晩たって凍った雪を片付ける音がした。窓の外のガリガリ シャリシャリ という音を、こたつの中で聞きながら、
 「ガリバーがいて、みぞれアイスを食べたら、こんな音だろう」 と、リリパット国の人の気分になった。
 あれから一週間、街でいくつか見かけた雪だるまは解け消えたが、また今週、天気図が雪を予想している。
 お天気ばかりはお天道様が決める。仕方ないことだ。
 とはいえ、春が待ち遠しい。

1月21日
 自転車で買い物にゆく道すがら、先週最初の一輪が開花した紅梅が、今日はもう五分咲きになっているのを見た。昨秋、丸く整えられたつげの木から、反逆する寝癖髪のようにピンピンと新しい枝が伸び出ている。ロウバイは満開だ。
 よそ様の庭にたくさんの春を発見する。
 春に向けて、わくわくの袋が胸の中にひろがってゆく。
 明日の晩は雪が降る予報である。わくわくの袋は ふくらんだりまたしぼんだりしながら、成長して、あれよというまに はじけて周り中を春にしてしまうだろう。
 気付かぬうちに季節が過ぎぬように、目を凝らしてひとつずつ、春を見つけよう。

1月13日
 「日が伸びてきたね」
 別の家人と別々の場所で、二日続けて同じ会話をした。
 一日目は実家で父から、「夕陽がきれいだよ」 と声をかけられ、「日が伸びてきたね」 と応えた。
 翌日、店舗の三階の窓から見えるオレンジの空に、「夕陽がきれいだなあ」 と思いながら、階下の店に降りると、店主が
 「日が伸びてきたな」 と言った。
 連日乾燥した晴天が続いている。冬型の気圧配置がめっぽう強くて、北の雪国はもちろんのこと、それ以外のところも雪が続いた。山々に囲まれた関東平野だけが、ポカッと晴れている。
 それでも、小寒と大寒の間で、今は寒さの底である。最低気温は零下になった。
 高騰した野菜の買出しに、温暖の地三浦半島へ出かけた。一面きゃべつと大根の畑が続く道から、ヤドカリの遊ぶ長浜海岸を通って、ソレイユの丘へ行く。
 早咲きの菜の花が満開で、海の向こうに冠雪の富士山が見えた。
 街路の寒桜が薄桃の花を咲かせている。 わけもなくめでたい気分になって、帰途に着いた。

1月5日
 昨年末、1月2日の月は2018年で一番大きな月だ とニュースが言った。
 「一年で一番!? 2018年中でこれより大きなお月様はないの?」
 年間で最も月が地球から遠くなる7月20日と比べて、大きさで20%、輝きは30%も違うそうだ。
 見逃すわけにはいかないと、年末から「1月2日の晩は、月を見る」と心に刻んで、新年を迎えた。
 年末の書籍発送を全て終え、3ヶ日は横浜の実家で過ごした。2日の夕食後、齢90歳の父も、いっしょに外に出た。暗い空に、周囲に明るい光を放つ月があった。うっかり時間が遅くなり、既に高く上っていた。
 「明日は、もうちょっと早い時刻に見よう」 と思いながら家に入ると、テレビは天気予報を映していた。
 南関東は連日晴れだが、父の故郷の新潟は雪や雨のマークが続いている。月見は望めないどころか、大雪にみまわれ、一日で一メートルの積雪だとテレビの画面が伝えている。
 「ねぇ、こんな雪の時は、学校行くのも大変だったでしょ。一晩で雪が積もっちゃうと、朝、家から道に出るのはどうしたの?」 と父に聞くと、
 「かんじき履いて出れば平気だよ」 と言う。 そして朝の内に家の周りの雪をかき、通り道をつくる。
 「学校へ行く時は、おらちの家の軒にみんなが集まって、○○さのじいさんが来て、連れてってくれるんさ。かんじき履いて先頭になって歩いてさ。」
 「それで、子どもたちがその足跡をついていくんだ。」
 「そう。」 
 どこの家も兄弟がたくさんいた父の子ども時代のことである。父の故郷は穀倉地帯で、今でも見渡す限り田んぼが並んでいる。そこが一面雪原になり、細い道をかんじきを履いたおじいさんを先頭に小学生がぞろりとついてゆく。寒くて暖かい光景に思いをはせた。
 3日の晩は、早めに月を見に出た。白く透き通るようだった2日の月より低い位置で、オレンジがかった大きな月が見えた。まだほぼ満月に近い。
 翌4日は仕事始めで、閉店後に空を見た。月は上から欠けてきた。住宅地にある実家の上空と比べて、高架の鉄道と下町の商店街に挟まれたところから見る空は明らかに狭く、星の数も少ない。 でも、月は、ある。
 そして、今日5日は一日冷たい曇り空で、時々小雨もちらついた。
 閉店後の空に、月は見えなかった。 「今日は更に降雪の範囲が拡がった」と天気予報が言う。雪の降る空に月は見えないだろう。
 でも、月はある。見えなくても、雲のむこうには、月も星もある。
 また明日、晴れたら会える月を楽しみに、寒い夜を過ごそう。

12月のユーコさん勝手におしゃべり
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