ユーコさん勝手におしゃべり

1月30日
 1月が往く。
 先日、東京都公園協会主催の「水上バスで行く激動の幕末第三台場・ペリー来航後の幕府と江戸庶民」という企画に参加した。
 もとより日本史が苦手だった私は、土地や人物が交錯して相関図がわかりにくい「幕末」について、今まで識ることを避けてきた。
 今回の企画は、午前中に2時間の講義があり、午後は隅田川の川筋を通って、今も残る現場まで行くという。門外漢を通してきた分野に、これならとっかかりができそうだ。
 朝、集合場所の両国・江戸東京博物館会議室まで電車で行く。講義は、江戸湾への台場の建造を話の中心にすえることで、江戸から明治への複雑な人の動きが整理され、壮大な埋立て公共工事の好況に沸く江戸庶民の様子も面白く、得心がいくものだった。11の台場を造るはずが、3つ造った時点で資金を使い切ってしまった役人作成の見積書の存在も、いつの時代も人のやることは変わらないことを教えてくれる。
 江戸博を出て、国技館前を通り、両国発着場から水上バスで隅田川を下ってゆく。いくつも橋の下をくぐり、
 「あの左手の堀のあたりが、池波正太郎の『鬼平犯科帳』でよく泥棒が出るところですね。」 「ここの堀の奥が、『鬼平』で泥棒が逃げ込んで行く辺の町ですよ。」
 とボランティアガイドが現実の地形に即した解説をしてくれて、お話の時代と現代が地続きであることがよくわかる。
 お台場海浜公園で船を降り、往時の砲台の図面を手に第三台場まで行って、現地自由解散となった。
 立場によって正義はかわる。御台場—台場—お台場 と、「御」の字がついたり消えたりしたこの場所も、今はひらがなの「お」で納まって、平和な砂浜で海外からの観光客が写真を撮っていた。
 そして今日、昨日までの冬がいきなり去って、一日限定の春の陽気がやって来た。前日からの天気予報のうれしい予告に、「こんな日は出かけないと」 と店主はバイクを出す。
 気温も上がった10時過ぎ、二人乗りで首都高速道路を走る。地元堀切から荒川沿いを海まで出て、先日の江戸の変遷のおさらいのように、お台場を経由して海沿いに羽田を通り、横浜まで行った。
 バイクの前後にまたがり、店主は運転経路を組み立て、私はこの文章を組み立てる。同じ黒いヘルメットに黒いジャケットで、二つ並んだ頭が、全然別のことを考えている。
 先日の講座も、店主と一緒に参加したのだが、テキストの線引箇所や書き込みが微妙に違う。別の視点で見れば、同じテキストも別のものになる。
 中華街でランチを食べ、本牧ふ頭へ行き、横浜港シンボルタワーの145段の階段を昇った。展望台の足元で、たくさんの水鳥が波にプカプカ揺られている。暢気そうに見える鳥たちも頭の中では皆違うことを考えているのかな、と想像したら、楽しくなった。

1月21日
 「あーっ、どっか行きたい。どこへも行ってないよね」 と店主が言う。
 人間じっとしていると腐る と信じていて、常に何かしら旅の計画を練っている店主に、寒い時期は鬼門である。
 バイクの手入れもひととおり終って、「もう いじるところもない」 のに、出かけられない。
 仕事の合間をぬっては、ちょこちょこと展覧会や寄席に行っているが、冒険には程遠い。まくらと本があればどこでも極楽 の私とは、身体のつくりが違うらしい。
 そんな昨年末、たまたまめくった新聞に、「伊豆大島 三原山ハイキング」の広告があった。東京を22時出発で翌日ハイキングして夕方には帰宅というプランである。日程も価格も手頃な船旅は、うってつけの非日常で、即申し込んだ。
 心は大島で、夢みるような年始を過ごしたが、1月の2週目から寒波が来た。大島の天気予報に「波浪」の文字が取れず、朝晩週間天気を見続けた。
 出発日の直前に、一時的に寒波が去り、波浪の文字も消えてほっとした。
 数日前からせっせと仕度をはじめて荷物は完全。出発当日はぬかりなく仕事をこなしながらも、店主は何度も、「明日の今ごろは○○にいる。」「明日の今ごろは○○してる。」 と気持ちは旅の空だ。
 店を閉め、することは皆片付けて出発した。浜松町から竹芝客船ターミナルまで歩く。いつも買い物や外出は午前中に済ませ、昼に店を開ける。閉店後に外に出ることはめったにない。だから、夜の市街を歩くだけで、既に非日常だった。
 22時にさるびあ丸が出航した。燃え上がるキャンドルのようなオレンジの東京タワーとシックなスカイツリー、ベイブリッジとお台場のキラキラした夜景を記憶とカメラにおさめて船室に入り、ぐっすり眠った。
 翌朝6時に大島岡田港に着いた。まだ暗い港に乗ってきた船の灯りがきれいだった。バス2台でホテルに向かい、朝食と入浴がサービスされる。朝食バイキングをいただいている間に空は藍から青へ変わっていき、眼前に三原山がくっきり見えた。
 8時半にホテルを出ると、バスで10分ほどで三原山頂口に着く。そこから三原神社を通り、噴火口の周囲をぐるりと回る2時間半のハイキングコースを歩いた。
 30年前の三原山噴火の時には、真赤な溶岩で満杯になったという火口を覗く。一周の内側は今でもそこここから水蒸気が立ち上るお鉢で、急斜面の外側は眼下はるかに黒い砂漠がひろがる。途中小雨にも見舞われたが、海の向うには、伊豆半島と房総半島、さらに南に利島が見える。ぜいたくな絶景であった。
 「この旅にはリピーターさんが多いんですよ」と東海汽船の添乗員の方が言っていたのもうなづける。
 雨も上がり、しっかり歩いてホテルに戻ると、昼食と温泉が待っている。
 昼食の時たまたま向い側の席に座った人が、出たものを「うまい うまい」 とおいしそうに食べる人だった。カップルの女性もひとつひとつ、「これ、おいしいね」と言い、男性はごはんもおかわりして、「ごちそう様でした」 と言った。となりの席の男性も、「けっこうボリュームあったな。腹いっぱいだ」 とみんな平らげた。磯の香りをつめこんだお味噌汁がついた一折のお弁当だったが、幸せな食卓だ。
 集団の旅で、何にでも一言文句をつける人というのはいただけない。個人旅行ではないのだから、値段なりのものをうれしく受け取れば、周囲もみんな気持ちが和む。この旅で一番良かったのはこの食卓だった。
 源泉かけ流し温泉で身体もほぐれ、帰りは高速ジェット船に乗り、2時間で竹芝に到着した。大きなゆったりした船と、小型で速い船の両方が乗れる、満足の旅だった。

1月14日
 閉店前に外の均一台の整理をしていた店主が、半笑いの顔で店に入ってきた。
 「小さい男の子が、うちの店の中を指さして、お母さんに
『このふくろう、はじめて見たことない』
 って言ったんだ。言いたいことはわかるけど…。お母さんもその子に
『なんかちょっと違うんじゃない』 って言ってた。」
 目がカメラで耳が録音機だったら、この愛くるしさを閉じ込めておけるのだが、時はすぐ過ぎ、幼児は少年になる。
 TOEICの文法ミスを見つけるテストの日本語版のようでもある。
 店の入口にある木彫りのふくろうと初めて出会った男の子の、充分通じるかわいい間違いだった。

1月12日
 天気予報の画面から、「寒気と寒波のちがい」を解説する声が聞こえて、本格的な冬がやって来た。
 「寒気は気温が下がってもすぐに戻るが、寒波は寒さが長く居座る。今回は特に長めになります。」 と言っている。
 毎年紅葉するのが遅い小庭のいろはもみじも、年末になってきれいに色づき、年が明けてから、最後の一葉を落とした。
 先日上野へ新春落語を聞きに行き、帰りに半分より少し太った十日の月を見た。
 あれから、店を閉める時、月が丸くなってゆくのを毎晩見ている。
 今日、「『二十一世紀の日本』入選作品集」という昭和42年の子どもが書いた本を見た。21世紀には月に移住していると複数の児童が予想していた。
 「未来は遠い先のようで、案外すぐ来てしまったのかな」
 と、月のうさぎを見上げた。電車が来て、そのころ子どもだった人たちが駅から出てきて店の前を通り過ぎていく。
 寒くなって空が澄んできた。明日は満月だ。

12月のユーコさん勝手におしゃべり