ユーコさん勝手におしゃべり |
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4月29日 ゴールデンウィーク直前の27日、福島・裏磐梯の雄国沼湿原へ行った。 前日、りんごの花咲く茨城県大子町から、「ここよりみちのく」の看板を通って福島へ入り、矢祭山、風呂山と山つつじの名所の二つの山に登り、久慈川の絶景を眺めた。 福島から、桜の咲く山道を通って栃木県那須高原へ行き一泊する。 よく晴れた翌朝、再び北上し、会津の街を車で走る。花みずきの赤色があざやかだ。そして、家の門前や街路の足元に紫色の花がたくさん咲いている。 店主が 「あれは何?」 と聞く。 「うーん わからないな」 と言ってよく見ると、それはムスカリだった。自分の家にも毎年たくさん咲いて、見慣れたはずのムスカリが、ピッとしまった花形に強い紫色で違う花に見えた。寒暖の差が花色をあざやかにする。福島の土力に感服した。 喜多方方面から金沢峠へ行き、雄国沼湿原を歩く計画だったが、ふもとの萩平まで行くと、「法面修復道路工事のため 通行止め」の看板があった。「塩川方面へまわり道」の案内に従って田舎道をしばらく走り、塩川から、「冬季閉鎖」の看板のある峠道を登ってゆく。 軽トラをとめて山仕事をしていたおじさんに、店主が 「この先金沢峠まで行けますか」 と聞くと、 「そうさねぇ、途中で土砂崩れとかなければ、たぶん行けるよ」 とのことだった。 道すがら、落石をよけたり、落石をどけたりしながら、そろりそろりと登ってゆく。 「何かゲームの中みたいだね」 と楽しんでいたが、突然行く手が、真っ白になった。道路全面に雪がつもっている。予想外の展開である。前日に裏磐梯観光協会に電話した時は、 「水芭蕉が芽吹いたところです。」 とのことだったので、雪のことは考えていなかった。 とりあえずバックして車を安全なところに停めてカーナビを見ると、金沢峠まで1.5kmとなっている。 「ここから歩こう」 と決め、歩き出すと、雪はほんの20m位の間道路上にあり、高さ30cmから1mくらいの壁を作っているが、そのカーブを抜けると、カラッと地面も乾いていた。道路脇の斜面から滑り落ちたのだろう。 気温は20度以上あり、太陽も近いので日差しは強い。一応用意した冬用のジャケットは不要だった。 そして、金沢峠に着き、眼下に雄国沼湿原が拡がる。広い空の下に誰もいない湿原の全貌が見える。えも言われぬ美しさだ。 うぐいすと鳴き交わしながら歩いていく。階段を下って湿原に降り、貸切状態の木道をゆっくり周った。湿原から坂道を上って金沢峠まで戻る時、目の前をしっぽのふさふさしたキツネ色の動物が横切った。 大満足の湿原散策を終え、また雪のあるところまで戻って車に乗り、落石と枝をよけながら、ふもとにおりた。 そこから猪苗代方面へ行き、観音寺川の桜並木でなごりの桜吹雪を浴び、しだれ桜が満開の観音寺でお参りをして帰途に着いた。 雪のかたまりを持ち上げ、今年最後の桜をみた。季節をさかのぼる旅は大成功、のはずだった。 あとは東北自動車道にのるだけだったが、4時過ぎに郡山の高速入口まで行くと、電光掲示板に「白河ー川口渋滞100km以上」 と表示されている。 これは大事故に違いないと、急遽高速を回避する。平行する国道4号も大渋滞だろうからとこちらも避けて、茨城まわりで帰ることにした。カーナビを頼りに県境をまたぎ、再び車窓から大子町のりんごの花を楽しんだ。 100km超の渋滞なら事故情報が出るはずだが、不思議なことにラジオもカーナビのTVニュースも報道はなかった。常磐道経由で10時に帰宅して、パソコンのニュースサイトを見ても、何もない。よく調べると、「16時25分から10分程度 高速道路全線渋滞の誤表示がありました」 とNEXCO東日本がお詫びを掲載していた。 良い旅の最後にとんだガセネタをつかまされたのだった。しかもちょうど間の悪い10分の間にそこを通ってしまったとは…、「人生楽ありゃ 苦もあるさ」 というオチか。 「これもいつかエピソードのひとつになる」 と、花と空がいっぱいのデジカメ画像を見ながら、ロングドライブで疲れた店主をなぐさめた。 4月20日 店の外壁を這い上がるジャスミンが紅いつぼみの群れの中に純白の花を開かせ、今二部咲きといったところだ。 朝 店主に、 「星を撒いたようだ」 と言ったら 「牛を撒いたよう?」 と聞き返されて、笑った。 熊本の地震が治まらず、心配で自然と沈みがちになる。久々に心の底から笑った。牛を撒くって、想像するだにおかしくて、思い出しては笑ってしまう。こんな小さなひとことでも、笑いは大切だなと思った。 店を開けると、高齢のご婦人が、古い文学書を買ってゆかれた。 「よかったわぁ。読みたくて探したんだけど、新刊屋さんにはないし、もう図書館にもないのよ。」 と言う。 「若い時に読んで、よかったなぁっていう記憶があるから、ふっと読みたくなるの。それで今読むと、また違った感じがするのよ。 今の人はもう読まないっていうけど、読んだことがないんだから、仕方ないわ。」 とおっしゃった。 若い時、この方の家には本棚があったのだろう。 親や兄姉の本棚にあって、手持ち無沙汰の折りに、または好奇心から、手にとって読む。読んだら面白かった。盗み読むから余計そそられる少し背伸びした小説。 ものとしての本や書棚が消えつつある。 電子書籍にはそれがないとすると、文化の損失かもしれない。 本の思い出は、すぐには役にたたなくても、50年70年たって、ほのかに立ち上がり人生を豊かにしてくれることを、あらためて教えられた。 4月17日 地震お見舞い申し上げます。 揺れる熊本に九州に、なすすべもなく、ただ空に地に祈るばかりです。 おいしそうだったから買ったいちごが、「さがほのか」でした。 佐賀農協からやってきた「さがほのか」。いつもは何でもなく食べているけれど、 「遠い九州から よく来たね」 と声をかけて、おいしくいただきました。 4月14日 12・13日と店舗を休業して、旅に出た。 12日の早朝、書籍の受注と小庭の水遣りをすませて、車で出かける。首都高速から東名高速道路に入り、海老名を過ぎると朝もやでくすんでいた車窓に、いきなり、ドンと富士山があらわれ、大きさに圧倒される。 曇りのち晴れの予報通り、明るい光が差し込み、東京では終った桜が美しく咲いている。 一日目は清水港と久能山東照宮を周って、静岡から山梨に入り下部温泉へ行った。宿でゆっくり温泉に浸かって、部屋のテレビが、富士五湖の桜が満開だと言っているのを聞いているうちに睡魔がやって来て、そのまま朝までぐっすり眠った。 翌日は前夜の報道を頼りに富士五湖方面へ向かう。宿を出るときには降っていた雨もやみ、河口湖畔で見ごろの桜を楽しんだ。 昼食に吉田のうどんを食べに富士吉田へ行く。「新倉山浅間公園桜まつり」ののぼりがたっていて、うどん屋のご主人に聞くと、 「いや、行ったほうがいいですよ。ちょっと階段がきついけど、登るかいがあります。」 と親切に地図を出して説明してくれた。 息を切らして、富士浅間神社の長い石段をのぼっていくと、息を呑む美しさに出会う。満開になったばかりの桜が初々しく枝につき、風が吹いてもまだ散る気配もない。 四月に入って半月、「もうたっぷり見た」 と思っていたけれど、それでも、山を染める桜にテンションがあがる。 水仙も、桃も、杏も、花と並ぶと、どうしても笑顔になってしまう自分をとめられない。 良いものを観て、また高速道路を通って、夕方には東京に戻った。帰宅すると、明日に備えて仕事の準備をする。その日の夕刊の一面にさっき見た新倉山浅間公園の花景色が載っていた。 お客様から届いた振替用紙を開くと、紙いっぱいに、 「もう しばらくで満開です。 富山はやっぱり 花より 魚でしょう。 では お元気で。」 と書いてあった。見ているとうれしくて、元気が出る字体だった。 何年も前からのお客様で、本といっしょに 「富山の春の様子はいかがでしょうか。チューリップもきれいに咲く頃でしょうか」 と書いたメモ紙を入れたのだった。 そうだよね、魚だよね、と共感させる、「では お元気で」 である。 富士五湖で、小雨の中でも舟に乗り、釣り糸を垂れる人を何人も見た。何が楽しくて、何がうれしいか、人によってみんな違う。 いろんな人がいることを、いろんな趣味があることを、見聞きすることは、とても愉しい。パソコンをあけ、仕事を済ませると、降り出した雨の音を聞きながら眠った。 朝になってもまだ雨は降っていた。 「晴観雨鑑」 と口に出して唱え、電車で上野に出て、国立博物館で「黒田清輝展」を鑑賞した。何度も見たはずの黒田だったが、ゆったりした展示と照明がすばらしく、初めて見たような感銘をうけた。鑑賞を邪魔せず、自然な光の中に作品が置かれたような照明だった。黒田の師として展示されたラファエル・コランの「花月(フロレアル)」は、通り過ぎても何度も振り返って見たくなる絵だった。 午前中を美術館で過ごすうち、雨も上がり、昼には帰宅して、店を開ける。 12・13日と観光にいそしみ、14日はよいものを鑑た。 「晴耕雨読」ではなく、「晴観雨鑑」のありがたい週である。 4月9日 店で使う文具や梱包材を買いに浅草橋の問屋さんまで、30分ほどの道のりを自転車で出かけた。店主と二人で、桜の舞い散る隅田川の土手沿いを通り、下町の路地をぬけてゆく。 染井吉野は見ごろを過ぎたが、八重桜が咲きそめて、道に彩りを添えている。 土曜の朝で、車も人通りも少ない路地を、若いお母さんが自転車の前後に女の子を乗せて、 「早くおせんべ 食べちゃいなさい」 と言って自転車をこぎ出した。 店主がVサインをおくると、女の子二人がそろってVサインを返してくれた。 今日は親子でお寝坊しちゃって、通園時間ギリギリなのかな。ママは力いっぱいこいで、私たちを追い越していった。 すぐ道の先に保育園が見え、自転車がとまった。おせんべ、食べ終わったかな。 近くの小学校に人だかりがしていた。「浅草観音うら一葉桜まつり」のお知らせ看板がある。 学校の横の公園に、大きな桜の木があった。一葉桜は、控えめな色味が美しい八重桜で、なるほどその周りは満開の並木道になっている。 偶然に、よいものを見た。 買物を済ませて、山谷堀公園、都立汐入公園となごりの桜の花吹雪を浴びて、昼前に帰宅した。 店の営業を終えて、夜、今夏の花苗の注文をした。 春を満喫したら、夏の算段をする。そうして次の季節がある幸せを、かみしめる。 4月4日 今日ジャスミンの最初のひとつが咲いた。 早朝から降り続いた雨があがって、外に出ると新芽がキラキラ輝いている。 いつも最初の花を見つける喜びは私のものだったのに、今回は店主に先を越された。 「ホラ 咲いてるよ さいしょの花」 と店の二階の窓辺を指さされて、うれしい気持ちと、自分のうかつを責める気分が半々だった。 次々花が咲く時期は、次々花が終わる時でもあるので、花摘みに忙しく手と目を動かしているうちに、悔しい気持ちはふきとんだ。 明日もよく咲くように、開いた花の下に隠れた終った花をたんねんに捜して摘み取った。 雨は土をうるおしてゆく 雨というものの そばにしゃがんで 雨のすることをみていたい 八木重吉 4月1日 咲いたら散ってしまう桜を見逃すまいと、早起きして、店主と都立水元公園へ行く。 荒川・隅田川を渡り、墨田区、台東区、荒川区、足立区を通り抜けた昨日に続き、今日は葛飾区内を自転車で散策した。 沿道のあちこちで、そして水元公園で、満開の桜はもちろんのこと、私を楽しませたのは柳の新芽だ。 冬には枝を丸裸に刈りとるので、柳の木のてっぺんには、赤ちゃんの髪のようにポヨポヨと上向きに黄緑の新芽が生えている。 日当たりがよく、既に枝垂れたものも、枝はまだ若緑色だ。ゴツゴツした古木に、しなやかな少女の髪を思わせる枝葉が風に揺れている。 「みどりの黒髪」とつぶやきながら、太い幹と枝垂れる枝に触れた。 そして、店主の興味は、広島焼きの屋台。 自転車で通りかかった時、ちょうど鉄板の準備が整ったところだった。 自転車を止め、水溶き小麦粉を流すはじめから、順に具をのせ焼き上げる一部始終に見入っていた。 「帰ったらこれ 作ろう」 再び自転車に乗って走り出して、うれしそうに言った。 公園をぐるりと回って、帰り際、公園入口の釣り場に寄った。 つり人のそばには、真っ白な小サギが寄り添っている。そっとそばに行っても逃げない。 「くちぼそを待ってるんだよ。みんな座ってるから安心してるんだ」 とおじさんが言う。なるほどつり人は皆、腰掛けている。 そこで私たちもそばにしゃがんだ。 小サギはおじさんにさらに近づき、小さなバケツをのぞき込むが、水が入っているだけで何もない。 「さっきあげたでしょ。ちょっと待っててね。」 と言われ、一歩下がって待っていた。 するとそのとなりのおじさんの棹に1匹かかった。小サギはそちらまで優雅に歩いていった。彼がくちぼそを呑み込むのを見届けて、私たちも家路につき、昼食をとって、店を開けた。 3月のユーコさん勝手におしゃべり |