ユーコさん勝手におしゃべり

1月30日
 1月さいごの週末だ。
 天気は周期的に変わり、ここのところ週末のたびに雪か雨の予報が出る。夕べも、冷たいものが振る音が一晩中していた。
 今朝8時頃、雨上がりの外に出て、店横の小庭でビオラの花柄摘みをする。終りかけた花に手を出して、花びらの冷たさに指先が驚いた。
 寒さにじっと対峙して花を保ったことが、シャリっとした感触から伝わって、暖かい室内で他人事のようにみぞれの予報画面を見ていた自分の傲慢さを知らされた。
 寒い時咲いた花は長く持つから、摘む花はいくつもない。
 いつもよりいくらかていねいに花をねぎらって、花摘みをした。

1月26日
 店主はそば好きである。
 「そばは、安くて盛りがよくなけりゃ」 というのが店主のポリシーだ。無論うまいことが大前提で、こうなるとどこでもふらりと立ち寄るわけにはいかない。行く店は、あっち方面ならここ、こっち方面ならここ、と限られてくる。
 今日は車で30分ほどのところに買い物に行く都合があり、そのうちの一軒へ行った。
 カウンターだけの、夫婦で営む店である。早朝から開き、昼過ぎに麺がなくなると店じまいとなる。カウンターに座り、食券を出す。奥さんに
 「ここんとこ寒いですね。 朝 何時に起きるんですか」
 と声をかけると、
 「そうですね、今は三時半ですね。」 という。
 どんなに混んでも、注文が入ってから入った分だけ麺をゆで、タネを用意する。客との一対一対応で作り置きしない。丁寧な仕事で、価格はぐっと控えめだ。
 客は皆、「ごちそうさま」とか「ごちそう様でした」と言ってカウンターに盆を返して立ち上がる。あったかいいい店なのだ。
 インターネットの発達で、安くて旨い店が見つけやすくなった。私も便利に使っているが、その反面、今まで気軽に行っていた店が、行列店になって入れなかったり、店を拡張して味や形態が変わり、淋しい思いをすることもある。
 あまり知られず、このペースで続いていってほしい、とは、客の勝手な願いである。
 そしてそれは、自分へのいましめ でもあった。

1月18日
 今朝、東京に今冬初の積雪があった。
 昨日から、夜は雨か雪だと予報はあったが、降り始めが雨だったので、このまま雨が降るのだろうと思っていた。
 「今年に入ってはじめての本降りの雨だ」 と音を聞きながら眠りにつき、目が覚めた。
 今朝は可燃ゴミを出す日だったので、ゴミをまとめて玄関のドアを開け、驚いた。
 不用意にサンダル履きだった足は、水分の多い積雪にビチャビチャになった。
 雪は雨に変わり、昼過ぎまで降り続いた。夕方、本日発送の本を持って郵便局に行く。道路の雪はあらかたとけたが、プランターのビオラの花は、半分雪に埋もれて 皆 下を向いていた。
 うなだれた花に、先週のことを思い出した。
 上天気だった先週の木曜日、荒川と中川の土手道づたいに自転車を走らせた。中川の土手から海まで行って、葛西臨海公園に入る。
 大観覧車の下は、いつもなら一面の水仙のころだが、今年は花数が少ないように見えた。自転車を降り、香りを楽しみながら歩いていると、私の前を押し車を押してゆっくり散策していた二人連れの老婦人の一人が、しゃがんで花の茎を持っている。
 「たおれちゃって たおれちゃって
 気の毒なほど たおれちゃって 」
 と、連れの婦人にともなく、私にともなく言った。そのことば使いがとても優しくまろやかで、耳に残っている。
 老婦人は二人並んで押し車を押しながら、時々折れて下を向いた花を起こしては茎をさすっていた。
 今日は、公園の水仙畑も雪に埋もれたことだろう。乾燥した地面にこの雪が、よい作用をもたらし、新しい花芽の芽吹きにつながるとよいな、と思う。

1月11日
 「過去」に携わることを生業としている。
 いつの時代にも過去はあったし、これからもずっと過去はある。過去の単位は、未来について私が考えられるスパンよりも長い。百年前も千年前も過去の内である。
 未来について、紙の上やインターネット上で、いろいろな議論がなされている。どの分野もそうであるように、本もまたこのままの形で続いてゆく未来はない、といわれている。
 でもたとえ広がる未来がないとしても、過去は、今あるように今後もある。
 扱う本を通じて、昨年も数々の出合いがあった。様々な人が、自分や親族や先達の過去に出会うために、うちの棚に眠るたった一冊の本を手にしていった。
 この15年ほどの間に、インターネットに数万冊の本を打ち込み、約半数が売れていった。残っている本は、「売れなかった」のではなく、「待っている」のだと思っている。古本屋のいいところは、お客さんはたった一人でいいことだ。
 皆に好まれなくても、大多数に喜ばれなくても、一つの本は、一人のオファーを待っている。
 古い雑誌のバックナンバーをめくり、内容をつまんで入力しながら、この一冊が誰かの青春にピンポイントでささってゆくのを、待望している。

1月7日
 年が改まって、今年初ハイキングに、神奈川県の三浦へ出かけた。
数年前から、冬になると、海沿いの岩礁の道を中心に、毎回4時間ほど歩いている。
 地図を拡げて、「今回は、ここからここまで行って、復路はこっちの道を通って戻ろう」 と店主が決める。私は、「ふんふん」とか「おもしろそう」とか適当に相づちを打って、店主が「調べといて」と言ったお店や地域情報を検索したりする。
 「まったく人まかせなんだから」と店主は嘆くが、「こんなのどう」と提案したところで、旅のだんどりは下手だし地図は読めないし、餅は餅屋に任せておく。
 くっきりと晴れた日で、三浦海岸から対岸の千葉がよく見える。
 朝、農産物直売所へ寄って、大根やキャベツ、ブロッコリなど買い込み、三浦市松輪の江奈湾へ向かう。漁協直営の地魚料理店で、鮮度抜群のランチセットをいただき、海岸を歩き出す。
 堅い岩盤の岩場をたどり、波打ち際ギリギリまで岩の壁がそそりたつ難所を通る。冒険気分にワクワクしつつ、慎重に足を運んだ、はずなのに、気が付いたらツルリと滑って片足を海につっこんでいた。あわてて体勢を立て直し、安全地帯まで進む。平気を装い素知らぬ顔をしていたが、先を行く店主は、「見たぞ」と言わんばかりにニヤニヤ笑っていた。
 濡れた片足とお尻を気にしながら歩いたが、休憩中に靴を脱いで干したらあらかた乾いた。一月とは思えない暖かさで、途中で手袋をはずし重ね着していた服も一枚脱いで、剣崎をまわり、間口港まで行く。
 そこから海を離れ、坂道を登ると、大根畑とキャベツ畑がびっしり並ぶ。休日、郊外へ出かける機会は多いが、三浦ほど耕作放棄地のないところは思いつかない。丘の上に広がる畑は、どこもよく手入れされ、働く人の姿もよく見かける。漁港もイキイキと船の出入りがあり、都会から近い地の利を得て、元気な田舎の見本のようだ。
 海と丘の風景を楽しみ、車を停めた江奈漁港まで戻る頃には、濡れた靴もすっかり乾いていた。海辺で拾い集めた貝殻をおみやげに家路についた。
 帰途、私の頭の中は、今日買った野菜たちを明日の朝どう料理するかのだんどりで、楽しく埋まっていった。
 今回の大きくてきれいな貝殻を見つける競争に勝利した店主は、上機嫌でハンドルを握り、私が海に片足浸かったことを、「ズッポシ ズブズブ」と擬音付で何度も唱える。
 旅は、失敗も思い出のうち。笑い話を提供できたことを、幸せのひとつと数えようっと。

12月のユーコさん勝手におしゃべり
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