ユーコさん勝手におしゃべり

9月24日
 きんもくせいの甘い香りが街を席巻して、季節がかわった。
 数日前から、花の姿と時折風に乗ってくる香りは感じていたが、まだ印象は薄かった。
 夕べから、石鹸の泡に包まれているような時が増え、今朝ははっきりと正体をあらわした。ご近所の大きなきんもくせいの花の香が、毎年秋の到来を教えてくれる。
 まだ毎日旺盛な飼い亀の食欲も、あと一ヶ月もすればぐっと落ち、今年も冬眠用の落ち葉さがしに出かけるだろう。
 繰り返す年々の、幸せな繁忙に感謝して、残り少なくなった今年のカレンダーをみる。

9月23日
 なまずとカワセミ。
 今朝、浅草橋まで店の備品を買いに、店主とバイクで出かけた。帰りがけに店主が、「安田庭園に寄っていこうか。」 と路地を曲がった。
 連休の最終日、好天に恵まれ、庭園にはいつもよりたくさんの人がいた。ノートやスケッチブックを持っている人が目立つ。俳句の会や自然観察のグループが何組か来ているようで、しきりにメモをとったり、木陰の斜面で目を閉じて呻吟している人もいた。
 鯉が泳ぎ、亀がひなたぼっこをする大きな池の周りを歩き、ひとけのない小さな橋を渡る時、池の中に見慣れない姿があった。横広の顔に細〜い体、
 「なまず? これ、なまずじゃない?」
 と店主に声をかけると、店主も、「ああ そうだね。なまずだ」 と答えた。
 近くに庭園の清掃をしている人がいたので、
 「なまずも、いるんですか」 と聞くと、
 「はい、1・2匹いますね。なかなか出てこないんで、見られるとラッキーですよ。」 とおっしゃる。喋っている間に、なる程なまずは岩かげにスルスルと入っていってしまった。
 体型はウナギイヌにそっくりだった。赤塚不二夫氏のウナギイヌのモデルは、なまずだったんじゃないだろうか、と、庭園から店へ帰るまで、店主とバイクの前後で談笑した。
 あのなまずも、吟行に来た俳人たちや、自然観察グループの前にあらわれれば、そういった方たちの役にたったろうに、私と店主の目の保養になっただけだった。
 話しながら、以前、都立水元公園でカワセミに会ったことを思い出した。自転車で森陰の小川沿いを走っていると、目の前に鮮やかな青が飛んできて、木の枝にとまった。すぐ間近にカワセミがいる。
 その時も店主と私の二人だけで、周りには誰もいなかった。カメラも持っていないし、手を伸ばせば届きそうなところにいるカワセミを、ただ見つめていた。公園内のカワセミの里やバードサンクチュアリには、大きなレンズをつけたカメラマンが、大勢じっと待っているのに、もったいないような気がしたものだった。
 出会おうと思うと出会えない。何の用意もないときに、幸運はいきなりあらわれる。
 まるで、人生の教訓のような、なまずとカワセミ、だ。

9月20日
 冷蔵庫には、おそらく今年さいごとなる、スイカが入っている。
 近所のスーパーの朝市で、いっしょに買物にいった店主の足をくぎづけにした北海道・富良野からやってきた大きなスイカ。深緑と黒のしま模様も鮮やかだ。
 「…でも、もう冷蔵庫には入るスキがない。夏なら喜んで空けるけど、今はりんごも梨もブドウも入っている。」
 という私に、一度は売り場をあとにしたけれど、
 「朝 食べればさあ。水分がたっぷりで旨いよぉ。」
 と、一口大に切って盛り付けた時の図までくりひろげて説得にかかり、スイカは家にやって来た。
 冷蔵庫の野菜室にどっしりおさまり、朝がくるのを待っている。
 明日のスイカを確保した店主が、私に、
 「和栗のモンブラン、買ってきなよ」
 と提案する。毎秋楽しみにしている駅前のケーキ屋さんの和栗モンブランが、午後の休憩時に今年初お目見えした。
 夏のさいごの大王様と、味覚の秋の前哨戦。
 明日は、堀切菖蒲園へ萩のトンネルをくぐりに行こう。

9月17日
 冷房も暖房もいらない、いい季節だ。
 「雨ばかり降っているけど、いいところはいいところとして受けとめなくちゃ」
と思っていた矢先の、台風と水害だった。
 萩のトンネルのできる頃だが、今年はそういったことにワクワクする油断やスキがない。
 それでも、街路樹の根元で彼岸花が満開になった。
 雨の合間の休日、久し振りにバイクに乗って、アクアラインを通って千葉へ出かけた。稲刈りが終って緑の更地に戻った田んぼに、かかしが立っている。いったい何を見張っているのか。かかしのそばで、白鷺がゆっくり地面をつつきながら歩いていた。
 一日、海と山の景色を楽しんで帰ると、翌日の夜からまた雨が降り出した。
 晩夏とも秋ともつかず、服装の選択に迷いながら、せめて本の中に夏のなごりを見出そうと、書棚からモーリス・デイリの『十七歳の夏』という本を抜いて読み出した。

9月4日
 この夏は雨で始まったから、終わりも雨。
 おかげで、水不足の声は聞かずにすんだ。
 8月なかばに霧降高原の天空回廊を登ったのを最後に、ハイキングにも出かけていない。天気予報を見て計画をたてるものの、出がけにもう降っていたりして出ばなをくじかれる。店主手書きの計画行程書だけが、
 「また 今度ね」 と声をかけられファイルにたまってゆく。
 雨と雨の隙間に、車で近郊に出れば、夏の日照りを受けた稲穂が深く頭をたれ稲刈りを待っている。
 雨と太陽の恵みを受け、実りの秋がやってきたのだから、結果オーライとしよう、と自分に言い聞かせ、ハイキングから買物ツアーに変更になった休日を楽しむ。
 ジェイ・ルービンの「日々の光」を、何日もかけて読んでいる。一気に読んでしまうには、あまりにつらくて、毎日すこしずつ、あるいは余韻がおさまるまで一日置いて、また手に取る。こんな読書は久し振りだ。この遅読のおかげで、読書の秋に向けて読みたい本も何冊かたまってきた。
 読んだことのない作家に出会えるのは、うれしい。それが現在の人でも、ずっと過去の人であっても。

8月のユーコさん勝手におしゃべり
それ以前の「おしゃべり」