ユーコさん勝手におしゃべり |
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7月25日 梅雨明けと同時に猛暑が来て、「逃げろ!」とばかりに車を駆る。朝5時の涼しいうちにここを出れば、8時過ぎには、いろは坂を登りきり、奥日光中禅寺湖畔に着く。東京との温度差15度。半袖Tシャツの上に薄い長袖を2枚はおってちょうどいいくらいだ。 パン屋さんの開店を待ってくるみパンとクロワッサンとデニッシュ類を買い込み、さらに高度を上げ湯ノ湖まで行く。 駐車場に車を入れたら、敷物にチェアとコーヒーセット、そして本を持って湖畔へ向かう。お湯を沸かしてコーヒーを淹れたら、あとは好きなときに食べて、寝て、寒くなったら足湯へ行く。 めざすイベントがあり、地図やカーナビに頼らなければ着けない目的地のある旅行も楽しいけれど、夏、奥日光のこの場所で過ごす時間は何にもかえがたい。 虫を観察し、花の名前を覚え、鳥の声を聞いて、読みかけの本を読む。春には、ハルゼミがひっきりなしに鳴いているのに、奥日光に夏のセミはいない。静かな夏だ。一泊してすっかりリフレッシュして、いろは坂をくだる。 杉並木の山道を黒川沿いまで来ると、カナカナが鳴く。山道から集落に入り、色あざやかなあじさいの道を通ると、ジージーと夏のセミの声がして、ふもとにおりたと感じる。大芦川沿いを通ってつつじの湯に着くと再びカナカナの声と会う。沿道はずっとあじさいでいろどられていた。 そばを食べ、お風呂に入り、ゴロリと横になって本を読み、も一度そばを食べお風呂に入り、さいごの客になるまで楽しんで、猛暑と熱帯夜の東京へ戻った。 帰り道すでに、次の計画を練る。しっかり働いて、また別天地へ上がろう。 7月20日 亀産卵。12個一気産み。 飼い亀は、6月の終りからエサの食いつきが悪くなり、囲いを作った小庭から果敢に脱走を試みるようになった。そうなってから例年なら1・2週間で産卵が始まるのに、今年は難産だった。顔色はうかがえないが、体調も悪そうで、心配していた。 それが今朝、水槽にたくさんの卵と卵のかけらが並んでいた。昨晩の雷雨と産卵でにごってしまった水の中に、ケロリとした顔の彼女がいる。卵はなんと12もあった。 ずっとオスだと思っていたのが、15年目にして卵を産み出し、メスだとわかって4年になる。最初の年は5個ずつ2度産み、次の年からは1個ずつ小分けにして何度も産んだ。 その方が体の負担も少ないようで、これからもその戦法でいくのかと思っていたので、卵の数を見てたまげた。本人にもコントロールはできないことなのだろうか。 ともあれ、卵を産み終えると落ち着いたもので、脱走の気配はまるでなく、エサを食べると、小庭の石の上でひなたぼっこをはじめた。 ライオンのようにどっしりかまえ、天をあおいでいる。 「哲学のライオン」 だな…。 あまりかっこよかったので、デジカメを持ってきて、何枚も撮った。 「てつがくのライオン」は工藤直子さんの詩です。 7月19日 目の前に並べられた時間の積み木を一つ一つ片付けてゆくうちに滑るように時は過ぎ、もう夏休みのシーズンになった。 春から成長を楽しみにしていた駅舎のつばめの姿を、数日前から見かけない。7月初旬の大雨で、底が抜け縁だけになった巣に、大きくなった体を押し込めてエサを運ぶ親を待っていた。ヒナだけで満員の巣に親は入れず、巣の近くで羽を休めていた。 ヒナも親と見分けがつかない位大きくなったので、皆で飛び立ったのだろう。 巣立っていったつばめと引き換えに、セミの声がやってきた。店の裏手の地区センターのわずかな植込みから、日が出るとミンミンゼミの声がする。数本の木立ちで、田舎のようにせみ時雨という風にはならず、まだ1・2匹が鳴くばかりである。声がしないと「カラスにでも食べられたか」と心配になる。 今日、書庫へ本をとりに行くとき、捕虫網と虫かごを持った親子連れを見て、夏休みの始まりだと気付いた。ほほえましい姿ながらパパの持つ虫かごの中がカラなのを目にして、ちょっとホッとした。 子どもを産んだばかりらしく、ネコがおなかの皮をタポタポゆらして歩いていた。 春にはぐくまれた万物が、次々出現する季節だ。プランターの葉の上から青虫がフンをコロコロ落として、蝶になる準備をしている。産卵期に入った飼い亀は、エサを食べなかったり、やたらと外へ出たがったり、土を掘って蟄居したり、落ち着かない。一匹しか飼っていないので無精卵だが、彼女が卵を産み始めると、本格的に、夏が来る。 7月12日 先日、お客様に注文書籍の「発送のお知らせ」をしたら、返信メールがあり、 「お知らせありがとうございました。本の到着を楽しく待ちます。」 と書いてあった。 「本の到着を楽しく待ちます。」 なんてうれしいことばだろう、と心が躍り、いつもの梱包にも励みが出た。 ことばには力がある。ほんの少しの使い方で、ほほがゆるむことがある。 今朝、「犬のフンをするな」 という貼り紙を見た。 自転車で買いものに行く途中、植木を並べた民家の塀際に貼ってあった。言いたいことは感覚的にはわかるけど、誰に向かって言っているのか考えると、落ち着かない。 「犬に向かって?」「人に向かって?」 どちらにしても妄想をかきたてる貼り紙で、おなかの底がクツクツ笑った。 猛暑になった昼過ぎのこと、商店街で若いお母さんが、5・6歳の女の子を自転車の後ろに乗せていた。抱き上げられて自転車に乗せてもらった女の子が、近くのハンバーガー屋さんの名前を挙げて、 「ねぇ、Mバーガーって、10円だよね」 と元気に言った。ママは笑って、 「それは電話代だよ」 と答えた。 これだけの会話で、母子の乗った自転車は走り出した。 今でも電話で注文すると、電話代として10円返してくれるお店がある。女の子は暑くて喉が渇いたところ、涼しくておいしい場所を思い出した。しかもとびきり安い。店員さんがママに、「10円です」って言ってた。 でもちょっと違っていたようだ。 公衆電話もめったに使わなくなったし、家庭の電話でも一律10円単位ではなくなった。電話代イコール10円の意味は、子供たちにはわからないだろうなあ。 女の子の元気な声が可愛くて、こちらまで笑顔になった。 7月6日 数日前の朝、両足がいっぺんにつって目が覚めた。ふとんの脇の柱に足裏をぐっと押し付けて何とか治した。街歩きの夢をみていて、随分歩き回ったからなと、行ったことのない古い商店街のそば屋とか、ガード下から伸びるレトロかつ極彩色の商店の繁栄の図を反芻した。 その後店主にその話をすると、 「オレは今朝、七福神の舟の夢をみた」 という。 「半年遅れの初夢だね」 と返すと、 「初夢だってこんなのみたことないよ。七福神が大揃いだから。」 「何で七福神の舟だってわかったの?」 「でっぷりしてたり、何か持ってたり、まさしくあの七福神なんだから。みんながこっち向いて、何も喋らないでにこにこしてるんだ。 それで、『ここに乗ってくれよ』って誰か言ったんだよ。 『え、この人たちの舟に乗るの?』って思ったんだけど、渡し舟か何かで、先へ行くには乗らなきゃならないんだ。 七福神とオレとみんなで同じ方向向いて、『出発!』『オー!』とか言って腕上げて、舟で進んでいくんだ。」 あまりにも非現実的なので夢の中でも夢だとわかって、目が覚めたら私にいわなきゃ、と思ったんだそうだ。 その時は、「何かいいことあるかも」「宝くじでも買った方がいいかな」 なんて言いあったものの、特に変わったこともなく日常を過ごしている。少し遠方へ車で買物に出かけた時など、しばらく青信号が続くと、 「なぁ、さっき店を出てから一度も止まってないよ。これ七福神のご利益かな」 「えー、そんなことで使っちゃうのー」 と話のネタになったりした。 あれから何日かたった。今日ふと、 「ほめられもせず、苦にもされず」 こうして好きなことを仕事にしていられることが、何よりのご利益だな、と思った。 7月5日 店を開けようと外へ出た店主が、 「ねぇ、ちょっと これ見て」 と私を呼んだ。声のする方へ出て行くと、全長5ミリ程のバッタの赤ちゃんが、一匹、木製のラティスの木枠を上へ上へと歩いていた。 「どこかで生れたんだね」 「こんな小さいの はじめて見た。」 スズメやツバメに見つかれば食べられてしまう小さな命だ。どちらも愛おしく、ばった側にもスズメ側にも加担しないでいられる幸せを感じ、しばらく黙って観察した。 6月のユーコさん勝手におしゃべり |