ユーコさん勝手におしゃべり

9月30日
 夏がゆく。少し前まで連日の猛暑に、「暑いのはもうわかったから カンベンして」と思っていたのに、朝晩こう涼しくなると何だか淋しい。卒業間近になると、「もっと勉強しとけばよかった」と思う学生のようだ。
 花壇に出て、草花の植え替えをした。夏の花の終わったあとにミニチューリップの球根とビオラの苗を埋め込む。途中、少し奥に引っ込んで作業をしていると、店の脇の道を通る女の人の声がした。季節の花の話をしているようで、
 「私、ここを目安にしているの。 アラ…」
 と一人の声がとまり、また話しながら角を曲がって通り過ぎた。
 知らない誰かの庭に季節を運ぶお手伝いをしているなんて、とごほうびをいただいたような気持ちになり、声を受けた背中があったかくなった。

9月29日
 巴旦杏を食す。ハタンキョウという名前に、自分が明治の人になったような浪漫を感ずる。

 今月は2度、山梨へ行った。旅のきっかけは、今年2月に大腿骨骨折をした母が湯治に行きたいといったことだった。
 「下部温泉というのが骨折にいいっていうのよ。」 とせがまれ、調べてみるとよさそうだったので、一週間宿を取った。80歳を過ぎても、「正座は苦にならないの」と、茶道に三味線、ご詠歌と出歩いていたので、完全復帰とはいかなくても少しでもお稽古に出たいのだろう。湯治をするのは母一人だが、行き帰りはお供することにした。
 19日は母と二人で電車旅。私は東京から、母は新横浜から出発なので、東海道新幹線の先頭車両でおち合うことにした。ひかり号で静岡まで行き、駅弁を買って身延線特急に乗り換え下部温泉駅まで快適な旅だった。
 駅弁で昼食をとる車窓から、黄金色に実った稲田と、緑の茶畑が見える。天気のよい日だった。竹林の木蔭で、地面に座って一休みしている農家のおじいさんの足元には真っ赤な彼岸花が浮き立つように咲いている。先日江戸東京博物館でモース・コレクション『百年前の日本』展を見た。失われた世界とばかり思っていた手彩色写真の色彩が、現役で目の前にあらわれた。お弁当が何十倍もおいしく感じられた。
 一時過ぎに駅に着くと、宿の主人が車で迎えに来てくれていた。宿で荷物をおろすと、私はお役御免。湯治の宿のこととて、母一人でも心配は無用だった。私は再び駅まで送ってもらって帰途についた。下部温泉駅から甲府まで特急に乗り、中央本線に乗り換えて、新宿経由で帰宅した。
 母を26日に車で迎えにいくことに決め、25日は石和温泉に宿をとった。25日、台風20号の影響で東京は明け方から雨が降っていたが、台風と逆方向の山梨は晴れていた。この日は昇仙峡の奇岩と絶景を見ながら歩き、ロープウェイを使って、弥三郎岳まで登った。温泉で疲れを癒し、翌朝、宿近くの農産物直売所に寄った。
 ぶどうを数種と野菜を買って、店内を一回りしていると、見慣れない果物があった。「ケルシー」と書いてあるが、食べ方がわからないので、お店の人に聞いてみた。
 「ハタンキョウですよ。色がみどり色なんで人気がなくて、今プラムは赤いのが主流なんですけど、おいしいんで、ここらへんではずっと作って、地元の人は食べてるんですよ」 という。「皮は包丁でむいて、中に種と空洞があるのでそこはとってください。ほのかに甘くて酸味もあって、やさしい味ですよ」 と教えてくれた。地元で細々つくっていたが、米国へ輸出されケルシー牧場でブレイクして逆輸入されたのでケルシーと表示されるようになったそうだ。
 私は、「これが巴旦杏か」と感動していた。昔どこかで聞いたことがあったような、正岡子規あたりが言及していたのを目にした記憶がある。
 一パック買って、大事に車に積み込んだ。この日は勝沼の鉄道遺産、大日影トンネルを往復歩いてから、母の待つ下部温泉へ向かった。母は新潟出身だが、巴旦杏のことを聞くと、「子どものころよく食べたよ」という。
 沿道は稲刈りがすすみ、彼岸花はもう色あせていた。季節の変わり目の一週間は、待ったなしだ。
 実家について、巴旦杏をむいた。父は、「オレんとこではハダンキョーっていったな。よく食べたよ」という。母は「ハタンキョ」と呼んでいたという。直売場の人が言っていたとおりやさしい味だった。
 母が帰りの道の駅で買っておみやげにしてくれた柿もあり、翌日の朝食、我が家は果物まつりとなった。

9月17日
 ゆすぶられるような季節の変わり目。

 「毛布あって よかったよぉ」 と、朝一番に顔を合わせた時家人が言った。
 私も、今まで邪魔にして足元に押しやっていた夏掛けを、今朝方は胸元まで引き寄せたのだった。
 「わかるわあ、名言だね。それ季語になるよ、『毛布あってよかったよぉ』
 …季語には長すぎるわね。句が埋まっちゃうわ。」
 と軽口をたたきながら、ほうきを持って外へ出る。
 台風が、寿命の長かった夏の花に一気に交代を促すかと思っていたが、今年の夏は強く根を張って、どっこい元気に咲いていた。
 強風で飛んできた枯葉やポスター類をゴミ袋に入れ、がんばる夏の植物の手入れをする。ほうきで店の前を掃きながらシャッターを開けると、緑色に塗った店のドアに小さなバッタが見えた。見えたと同時に私の手にしたほうきがそれをはらってしまった。ドアとシャッターの間に入って台風から身を守っていたのか。大丈夫かなと葉っぱゴミをのぞきこんでいると、うしろから
 「こんにちわ」 と声がした。
 ふり向いて 「こんにちわ」 と言うと
 「アラ、びっくりさせちゃって、ごめんさない! ずいぶん驚かせちゃったみたい」
 と、おとなりのお惣菜屋の店員さんが笑いながら恐縮していた。よほど驚いた顔をしていたらしい。
 「あ、いや、バッタがいたんで…」 とわけのわからない言い訳をした。バッタは無事で、フッと花壇の方へ飛んでいくのが目の端に入った。
 「バッタが、あいさつするわけ、ないよね」 と一人苦笑した。
 秋の風が吹いてきて、高村光太郎のうたを口ずさみながら家に入った。

  どしどしと 季節あらたまり 風吹きて
     そこらいちめんに 涼しきもの満つ    -高村光太郎-

9月14日
 「そば、4枚、いける?」 と店主が聞く。
 ちょっと前まで、「3枚なら、O.K.だな」 と話していたのに、地図をひろげて検討しているうち、欲が出たらしい。
 今週はそばを食べに出かけようと決めていた。目的地は栃木県鹿沼市粟野。久しぶりのバイク旅で前の晩からわくわくした。
 暑すぎても寒すぎてもバイクはつらい。身を囲うものがなく自然を全身で感じられるから、好天はごちそうだ。
 高速道路をおりて、稲刈りの始まった水田と、白い花が満開のそば畑の道をゆく。コンバインに乗った人、サギ、カラス、スズメ、みんな収穫の喜びにわきたっていた。
 そして、10時に一軒目に到着。しかし10時と思っていた店の開店時間は11時だった。
 「また、あとで来ます。」と開店準備に忙しいお店の方に声をかけて、予定変更、再び田んぼとそば畑の道をゆき、前日光つつじの湯へのぼる。
 ここでもおいしいおそばが食べられるが、食堂にはまだ少し早いので、まずは温泉へ。お風呂につかって、休憩所へ行くと、おばあちゃんたちが漬け物談義をしている。
 「今年はナスがなってなって、しょうがないから シバ漬けもつくった」
 「ナスはナマ? 漬けるの?」
 「私はナマのまま」
 「私は漬けたの使ったわ。ミョウガがまだ出てなかったから、ナス漬けて待ってたの」
 「ああ、そうね。でも今度は赤ジソが終わっちゃうのよ」
 「そう、だから 梅干のシソ使うのよ」
 と、話は尽きずにつながってゆく。ここの休憩所に来るといつも耳がダンボになる。地に足が着いた話に、生きるってこういうことだな、と思う。「農村は知識の宝庫だ」と納得しながら、食堂へゆく。そばの食券を買うとき、テーブルの上の小いもの味噌煮に目がいった。小さな皮付きのじゃがいもに照りのいい甘辛の味噌がからめてあって1パック200円。誘惑に負けてこれも購入。
 「次のそば屋に行けなくなっちゃうじゃないか。」と言いつつ、店主も手をつけ、旨さに合意する。大もりを食べそば湯のおかわりもいただき、再び休憩所で寝ころび、風呂にも入って、出発。
 古峯神社、古峯園と散策して、3時にふもとへ降りる。朝行ったそば屋へ行き、店主は大もり、私はニラそばを注文すると、テーブルにナスの漬け物一皿と、薬味皿にねぎ、ミョウガ、オクラ、わさびが盛られて来た。
 そばと野菜の畑に囲まれた路地の奥にあるこじんまりした店で、たっぷり盛られたそばを食べていると、
 「もうおしまいだから、残りものだけど、天ぷら食べる?」
 とお店の人が野菜の天ぷらを二人前揚げてくれた。ありがたくいただき、おいしいのでそば湯もたっぷり飲み干して、店を出た。
 よっこいしょっとバイクに乗って、どちらともなく、「おなかいっぱいだね」と言い合った。
 もり4枚のつもりで出たが、二軒で満腹となり、すぐ近くにあるもう一軒の店の前を通過して、ガソリンスタンドに寄った。店主がスタンドのお兄さんにそば屋の話をすると、
 「ああ、あそこは昔から盛りがいいんで有名だから。大もりにすると食べきれない人もいるよね。」 と言う。 そうだったのか…
 そして、「そばが好きなら、となりの仙波町のそばもおいしいよ」と新たな情報を教えてくれる。
 楽しみは次から次へとつながっていく。来月は新そばのシーズンだね、と話しながら、無数のとんぼが飛ぶたんぼの道を帰路についた。

9月3日
 近所のケーキ屋さんが、その時々の果物をつかって季節限定のモンブランを出している。出来ると、外の黒板に、「今○○です」と掲示される。
 春の苺のモンブランもおいしかったが、私のNo.1は和栗のモンブランだ。年中あるわけではなく、その期間に1度かせいぜい2度、食べられるというところがいい。
 いつもは、自分から知らない人に声をかけることはないのだが、昨秋、和栗のモンブランが終わったあと、たまたまスーパーでみかけたそのケーキ屋さんに、
 「和栗のモンブラン、おいしかったです。あのシリーズ、楽しみにして変わると食べてるんですよ。また和栗やってくださいね。」 と声をかけた。
 今朝、郵便局に出かけた帰り、黒板に「和栗のモンブラン」と書いてあるのを見た。夏の間はゼリー類に席巻されてモンブランシリーズはお休みだったが、9月に入って復活したのだ。
 心の声は「ワーイ」と言ったが、誰かの誕生日でもないし、ケーキを買う口実がない。悩みつつお店の前を通り過ぎ、歩きながら、「9月、か。私の誕生日の3月から一番遠い月だな。」と思った。
 「ア、それだ。」と自分勝手な論理が組みたった。
 「9月は3月から6ヶ月で一番誕生月から遠いうえ、今日は3日で、3月4日の誕生日から一年でもっとも遠い、はんたい側の日である。 だから(?)今日は、和栗のモンブラン食べよう。」
 秋の高い空のように気持ちは晴れ渡った。昼過ぎに、ケーキ屋さんに入ると、私が昨秋声をかけた女性店員さんが、「わかってますよ」という風にニコニコしている。
 「和栗のモンブラン、ひとつください」
 「箱に、お入れしますか」
 「いいえ、簡単でいいです。すぐ食べますから。」
 ほんとうに、すぐ、それはおなかにおさまった。

 — 天高く 馬でなくても 肥ゆる秋 — だな。

9月2日
 店から書庫に本をとりに外へ出る。駅前で信号待ちをしていると、見なれた街のいつもの道路がひろく感じた。
 「何だろう」 と思ってぐるりと見渡す。すぐに
 「空が高いからだ!」
 と気付いた。相変わらずの猛暑だが、空は高くなっていた。例年なら8月の終わりころ
「秋きぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる」
 を実感するのだが、今年は熱帯夜つづきでこのうたの出番がなく、「目にさやか」が先に来た。
 長い猛暑の合い間に妙に涼しい日がさしはさまったからか、今年はすすきの穂の出るのが早く、夏の空気の中ですすきが目の秋を演出している。
 がんばる夏に、少しの外出でも汗だくになりながら、空で待機する秋を見上げた。

8月のユーコさん勝手におしゃべり
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