ユーコさん勝手におしゃべり |
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1月24日 上野の国立博物館で「書聖 王羲之展」をみる。 実は王羲之のことはよく知らないのだが、人間像を語るエピソードが角々に散りばめられており、おもしろく見た。遠い昔の達人だからといって硬くなって学ばなければならないわけではない、と感じられるつくりだった。王羲之の印象は、ガチョウ好きの愛すべきおじさんだった。 その上で、その端正な書は美しく、努力は賞讃に値する。 偉人を身近に感じられるように工夫され、この展覧会は見せ方がうまかった。 1月23日 東京に異例の大雪が降ってから10日が過ぎた。その後2度雨が降り、雪かきされ道のはじに凍りついた雪の山もあらかた溶けた。 普段的に雪の降る地域から見たら何のこともない積雪量だが、降雪後数日の寒さと相まって記憶に残る雪となった。 まだ雪の溶け残るころ、堀切菖蒲園をのぞきに行った。昨年、晩秋に出向いたときは、ちょうど大きな竹を持ち込んで、入り口の松の木々に雪つりをつくる作業をしていた。庭師さんは、 「まぁ 必要というよりも風物詩ですからね。季節を感じるでしょ」 とおっしゃっていたが、今年は松の雪つりも、ぼたんの雪囲いも役に立ったな、と思いながら歩いた。 日当たりのよいところはすっかり溶けて、地面も乾いているが、日陰の菖蒲田は真っ白だ。厚く凍りついた雪をシャベルで剥ぐ作業をしている方に声をかけると、これはわざと水をまいて凍らせたんだそうだ。 「雪のままだと取りきれないんですよ。今日は寒肥をやる日なので、何日か前に水をまいておいたんです。」 という。 氷をはいで土を出し、肥料をやる。 なるほど日なたの菖蒲田では作業員の方が一株ずつのまわりに肥料をまいていた。 6月、咲いている時しか気にかけないと、毎年勝手に咲いているように見えるが、実はまだ一葉も出ぬ地味な姿のうちから、よく手をかけてやっているものなのだった。 帰宅後、私も店の横のビオラの鉢に肥料をまいた。 1月11日 先日、映画「レ・ミゼラブル」を観に出かけた。 「英国王のスピーチ」のトム・フーパー監督作品だ。あの長編をどうやって3時間弱でみせるのかと思っていたが、映画の冒頭、ラッセル・クロウ(ジャベール役)の第一声が歌だったので、合点がいった。 「そうきたか」 あとでパンフレットを見たら、ミュージカル「レ・ミゼラブル」の映画化なのだった。 長い年月にわたる話だが、ナレーションで説明するようなところを、みな歌ったのだ。 通常なら、初対面の人にいきなり身の上話をするようなことはないので、時候の挨拶などいくつかのセリフのやりとりを経て核心に入ってゆく。しかし歌ならメロディがあり、俳優はそこに前後のいきさつを含めた感情を込めて表現する。 人は旋律に弱い。メロドラマとはよくいったものだ。 役者も揃い、いきなり本音トークの連続で、「レ・ミゼラブル」全巻がコンパクトによく出来上がっていた。 表情から微妙な感情を映す心情映画もよいが、時代のうねりをドーンと盛り合す本作もまたおもしろかった、 今月は山田洋次監督作品「東京家族」も封切りで、おもむきの違う2作が楽しめそうだ。 1月3日 「読書楽」 この額の下で本を読むことが、生前無上の娯楽であった方のお宅から、昨年、中林梧竹の書「読書楽」を譲り受けた。 幅120センチの書額は今、店の私の席の頭上に掲げられている。 この正月三が日、店舗は休業し、私は読書楽をたのしんだ。書物に触れない日は一日とてない日常だが、昼間から読みふける機会はなかなか持てない。結果、興味を持ち平行して読んでいる本が、何冊かたまっていた。それが一気に片付いた。 本は冒頭一頁目からぐんとひきこまれることも時にはあるが、たいてい大縄跳びをとぶとき大きくまわる縄を何度かやりすごすように、作者のつくるリズムに入りきれず何頁か何章かはゆるゆる読み進めていく。そのうち時代とか文化が自分の中に入ってきて、半ばくらいから急に読むことにはずみがつき、あゝ終わってしまう、と頁の尽きるのか惜しいままに読了する。読み終われば、その時代や国、文化から急にひき離されてしまう。それが惜しいと、またその著者の本や評伝を追っていくことになる。 かくして一つ知れば一つ知らぬことがわかり、興味は尽きない。 私が何を知ったからとて、世の役に立つことはない。されどそれが道楽というものだと、力強く書かれた読書楽という文字が背をささえ肯定してくれる。 「読書楽」の額の下、今年も皆様と本を通じて良き出会いを重ねてゆきたいと思っております。 本年もよろしくお願いいたします。 12月のユーコさん勝手におしゃべり |