ユーコさん勝手におしゃべり

11月27日
 秋がゆく。
 雨が降り、降るたび秋は深くなる。昨日の冷たい雨のあと、風は強いがよく晴れた。
 店主と、店主の弓道の先生と私の三人で葛飾区内めぐりの自転車旅に出る。
 高い空、川を渡るたびに方向表示のようにスカイツリーが見える。
 柴又で草だんごを一折買う。いつもだんごはここと決めているお店で疑うことなく買ったが、同行の先生は、
 「僕はねぇ、子どものころからこっちが好き。」 と別のお店を目指す。「よもぎが濃いんだよ」と一折購入。
 じゃ散策が終わったら食べ比べだなと、わくわくしながら帝釈天でお参りをして、水元公園へ向かった。
 桜の名所の公園で紅葉が美しい。メタセコイヤの林は盛期には橙色に燃えるが、そちらはまだ少し先のようだった。
 公園内のかわせみの里へ寄る。展示を見ていると、職員の女性が窓辺に立ち、
 「今かわせみが来てますよ」と声をかけ、双眼鏡をセットしてくれた。ガラス越し、目の前の枝に輝く青のかわせみが立っている。パシャンと水にとびこみ、小魚をくわえて別の枝に飛び乗った。職員は手際よくまたその枝の方向に双眼鏡を合わせた。
 それから空を指差し、「あそこにオオタカがいますよ」と教えてくれる。
 「何羽か飛んでいる一群の、白っぽく見えるのがオオタカです。黒いのはカラスで、カラスがオオタカをいじめて追いやっています。 オオタカよりカラスのほうが強いんです」 と言う。
 「数の論理ですか」 と聞くと、
 「オオタカの方がカラスより少し体が小さいのです。カラスの方が大きいのと、あと、やはり数が多いからでしょうね」 とのことだった。野鳥の世界も、たいへんだな。
 しらさぎが、釣りをするおじさんの斜め後ろに立って、じっと釣果を待っていた。
 水元をあとに亀有へ。こち亀の銅像を横目に商店街を抜け、路地を通り橋を渡る。
 三時を過ぎた頃、弓道の先生のお宅でお茶をいただく。お楽しみの柴又の草だんご食べ比べだ。確かに大きさも色もあんこの味付けも全然違う。名物とはいえ、各店個性を守りしのぎを削っている。甲乙つけがたく、脱帽。
 先生のお宅を出て、堀切へ戻る。桜並木の道はどこも紅葉し落葉している。日のかげるのが早くなり、四時を過ぎると急に寒くなる。
 「自転車ツアーも今年はこれが最後だな」 と店主が言う。
 秋の終わり、冬の姿が少し見えはじめた。

11月17日
 穏やかな天候だった10月から一変、11月は寒くなった。10月の暖かさで返り咲いた夏の花と急な冷え込みで始まった紅葉が混在するにぎやかで不思議な11月前半だった。
 今はすっかり寒さも定着して、東京でも晩秋を感じる。
 紅葉は高山から低地へ、北から南へと下降し南下する。今年の山の紅葉の見納めに、北関東へ旅に出た。
 朝5時、車に乗り東北自動車道をゆく。上河内で高速をおり、8時には龍王峡に到着。まだ人も車も少なくて、渓谷を心ゆくまで散策する。圧倒的な水量と踊る水の美しさに、自然に頬がゆるむ。きれいな落ち葉を見ると、「飼い亀へのおみやげに」と拾ってビニール袋にしまう。1時間半ほど歩いて駐車場に戻ると、たくさんの人と車があった。
 再び車に乗って日塩もみじラインを通り、那須で一泊した。翌日、道の駅へ寄りながら、紅葉名所の雲巌寺へ向かった。農村の山道でカーブが多い。もうすぐ雲巌寺というところに、交通標語の看板があった。縦書き朱文字で、
 「俺が危ない」
 と大書してある。標語としてのうまさに脱帽した。
 常々標語看板に疑問を持っていた。「○○するな」「ここで○○してはいけません」のたぐいである。
 世の中は善意で成り立っている。たいていの人が、看板がなくてもあえて危険な運転はしないし、ポイ捨ても、住宅地でペットの糞の放置もしない。ごく一部の困った人は、「○○するな」と書いてあっても看板なぞ見ないし、見てもおかまいなしだろう。
 上から目線の標語と一線を画す自分発信の「俺が危ない」。
 誰が考えたものかわからないが、以前、奥日光で見て感心した「おるまい とるまい 高山植物」という標語に通じるものを感じた。「禁止!」というより、自身の美意識に訴えて自らの行為を見つめさせる。
 紅葉もみごとだったが、看板が心に残った雲巌寺を後にして、栃木から県境を越え茨城県へ。笠間稲荷で菊まつりを堪能し、常磐道で帰宅した。
 ほうぼうで少しずつ拾い集めた紅葉黄葉の落ち葉を、さっそく何枚か留守番の亀の水槽に入れた。
 今水槽には東京の桜の落ち葉が多く入っていて、先日店主が、「水槽をかぐと、桜もちのにおいがするよ」と言っていた。
 亀は、夜は葉の下にもぐって寝ているが、昼間はまだ活発に動いて店主と散歩に出ている。来月本格的に寒くなれば、この各地の落ち葉をおふとんにして、冬眠態勢に入るだろう。

11月11日
 興味を持って捜せば、本は友達になれる。
 店の奥で仕事をしていると、店番台の方からおじいさんの声がした。
 「いや 古い良い本があるね。これ買ってくよ。ぼくは戦時中呉にいたんだ。」
 「ああそうですか。あそこは海軍の基地がありましたもんね。」と呼応する店主の声がして、少しの会話のあと、老紳士は本を抱えて店を出て行った。
 そのお客様の机に置かれ、その本は長く彼を癒すだろう。

 それは、その人以外にとっての価値とは無縁のもので、本の金額とはかかわりがない。大きな出版社から出ていたり、著名な著者である必要もない。
 著名になるためには多作せねばならないが、誰かにとって大事な一冊は、一作しか書かれなかった一冊でもよいのだから。
 古本屋の棚には、そんな細かい本や冊子が埋まっている。本当に何の本でも出ているものだと思う。あることに興味を持った人の書き残したいという執念が、一冊という形になって残るのだろう。
 パソコンで検索しても出てこない、分類しがたい多彩な思い。それぞれに、きっと納まるところがあるはずだと思う。
 なかなか届かずに在庫はたまっていくばかりだが、ほんの時たま、パズルのピースがはまるように誰かの手にパチッとおちる。
 こうして、「行くべきところに納まった」と感じるとき、古本屋をやっていてよかったなと思う。

11月10日
 冬の楽しみはみかん風呂。
 みかんを食べると、皮を網袋に入れてお日様に干す。一定量たまったら浴槽に入れる。それだけのことだが、よい香りとうっすら染まる湯の色がうれしい。
 先日りんごをむいていて、「これも、どうかしら」 と思って、お日様に干してみた。一つ目は干したけど、生のりんごがプカプカ浮かぶ「りんご風呂」の温泉ポスターを思い出し、二つ目はむいたままの皮を、干したのと一緒に網袋に入れてお風呂に浮かべた。よい香りで、これは合格。
 柿はどうかと思ったが、葉っぱはいいらしいけど、皮は香りもない。洋ナシもバナナもだめそうだ。
 今、「お風呂に入れるもの」を台所で探す楽しみにはまっている。今度実家に行ったら、庭のきんかんの実をちょっといただいてこよう。

11月6日
 朝から雨の降る日、葛西臨海水族園へ出かけた。
 駐車場には何台も観光バスが入っていた。わいわいとにぎやかで可愛らしい幼稚園児と小学一年生の遠足の子どもたちといっしょに入場した。
 ペンギンの食事を見て、エイや鮫の肌に触れ、充実の時を過ごす。そしてトイレに入った。子どもの入る気配がして、となりの個室から、
 「班長ってめんどいよねぇ、○○ちゃん」 という声がした。
 「うん、めんどいよねえ、それからリュックでトイレもめんどい」 と呼応する声を聞いた。
 雨が降って、リュックの上からレインコートを着ているので、なるほどその姿で小さな子が洋式トイレで用を足すのは「めんどい」だろうと想像した。
 でも「班長ってめんどい」という発言にはびっくりした。
 小学校も高学年になれば、○○長には、成績が良かったりスポーツができたりする学校内外で多忙な子が、先生に頼まれてなるケースが増えるので、「めんどい」という声が出るのもうなずける。
 だが、5・6歳の子の口から聞こうとは—。
 これからあの子たちは多くのものに出会うだろう。めんどくさいけれど役に立つたくさんの文字や九九。
 「めんどい」ということばを覚える前に覚えないともったいないな、と思いながら、さざめくペンギンのようなレインコートの列を眺めた。

11月2日
 紅葉待ったなし、だ。

 今夏、店で店主がお客様と食談義をしていた。そばの話になって、
「そばなら、故郷に行くと必ず行く店がある」 とお客さんが言う。
 量もたっぷりの人気店だが、
「ぼくはあの感じが好きなんだけど、友達連れていくと、好き嫌いは半々だなぁ」
 とのこと。そのお客さんのそばの描写が巧みで、そば好きの店主は、
「そっち方面行ったら、絶対行きますよ。」 と力強く言った。お客さんの出身地は信州上田だった。それから一ヶ月もしないうちに店主は都合をつけ、バイクのツーリング仲間も誘い合わせて食べてきた。
 次にそのお客さんが来た時も、そばの話で盛り上がり、次の旅行には私もご相伴にあずかることになった。
 紅葉の季節の到来を待ち、10月30日、車でそばと紅葉の旅に出た。
 関越自動車道が群馬に入り、さらに車は上信越自動車道を進む。軽井沢が近くなるとトンネルが多くなる。そして長いトンネルを抜けるたびに山は多彩になる。道は長野に入る。植生の豊かさをあらわす数えきれない色数だ。
 小諸で高速道路をおり、懐古園へ向かう。隅々まで抜かりなく手が入り、手入れをする人々の愛情が感じられる園内だった。園内の施設をひととおり見学し、動物園もすっかり回って車に戻る。周辺にも手打ちそばの店が多くあるが、のどから出る手をひっこめて、上田へ向かう。ちょうど昼時に、お客さん推薦の店に着いた。活気づく店内でそばを堪能する。
 旨いそば湯がたっぷりと饗されるとそば屋の満足度は倍増する。ごちそう様でした。
 満腹になり、車はキャベツのシーズンが終わりせいせいと広い嬬恋村へ向かう。愛妻の丘からは、ひたすら広がる大地と紅葉の山並が見渡せる。山は絵の具をならべたパレットのようだ。それをうつさんと、何人もの人が静かにキャンパスや三脚を立てていた。
 嬬恋から中之条へ入り、3時には四万温泉へ到着する。こちらは、葉が初々しく染まりはじめたところで、これもまた好し。良い湯に美味しい山の幸で一日を締めくくった。
 翌日は、まず沼田から川場村の吉祥寺へ向かった。紅葉の木々、滝からの流れにかきつばたが咲く圧巻の庭造りで、
 「極楽ってこんなところかな、」と店主が言った。
 赤城山のふもとを通って桐生へ。カーブを曲がるたびに、車窓にむかって、山が
 「ほらみてごらん」 と言う。
 「一瞬だよ」 とたたみかける。
色づく期間は短い。赤く燃えたら枯れ落ちる。
 四季のある不思議と喜びを感じながら、群馬の桐生から栃木県足利へ県境を越える。
 夕刻になり、いつもの佐野ラーメンのお店へ行く。なじみの味にすっかり落ち着き、今回の紅葉旅も締めとなる。
 思い出と直売所の農産物を車に乗せて、東北自動車道で東京へ戻った。

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