ユーコさん勝手におしゃべり

9月30日
 台風17号が北上中で、今日の夕方から暴風雨になるとの報道を受けて、まず頭に浮かんだのは、萩のトンネルのことだった。
 そろそろ見ごろを迎えるともくろんで、来週早々にも向島百花園へのサイクリングを予定していたのだ。
 萩のトンネルから浴びる初秋の木洩れ日と、桜花の上に拡がる春の青空は、私の二大好物だ。あとひとつの席は、その時々の季節の一番に敬意を表して空けてある。
 穏やかに晴れた今朝のうちに、ご近所の堀切菖蒲園に萩の様子を見に行ってみた。花はほぼ満開、池では亀が日なたぼっこにいそしみ、天気図上の不穏な空気とは無縁に今の平和を楽しんでいた。
 花を散らす風雨は恨めしいが、もとより台風シーズンと重なって花期を迎える花だ。週明けには台風一過のみごとな立ち上がりを見せてくれるだろう。

9月21日
 先日、浅草東洋館へ漫才協会主催の寄席を見に出かけた。今月2回目である。事前にプログラムを見て行く日を決めたら、その日はお弁当もおやつも用意して一日東洋館で過ごす。人気のある芸人さんの出る日は早めに行って開場前に並ぶ。
 並ぶ間に読もうと思って文庫本を持つのだが、たいてい不要になる。今回も店主に場所をとっといてもらって弁当を買いにいっている間に、私たちの前に並んでいたご婦人グループと店主がすっかりうちとけていた。70代と80代の彼女たちは、我々と同じく葛飾からやってきていて、小学校からの仲良しだという。東洋館は常連で、日程が合うと連れ立って遊びに来ているらしい。
 東洋館で出会ってすっかり気に入った男性演歌歌手が最近ずい分売れっ子になってNHKにも出演している話など、下町のおばちゃんらしく面白く話してくれる。当方は地デジ化以来一年以上テレビのない生活なので、そこらへんの芸能界事情にはとんと疎いのだが、話ははずんでゆき、そのうち主に喋っていた人の隣の人が、
 「でも、若い人たちは演歌なんか興味ないわよねぇ」 と言うと、
 「この人は、エグザイルが好きなのよ」 と演歌歌手ファンが話を受け、またひとしきり話題がふくらむ。誰がいいとか、どこどこで一緒にとった写真がうまくいったとか、まるで、女子中学生の休み時間の教室のようだ。うらやましい程長く続いている女子会だが、聞けば、小学校時分は戦中で、空襲警報が鳴ると連れ立って防空壕まで走ったことや、一緒にB29の大編隊を見た話とか、お手玉やおはじきといった遊びとともに、まさに命がけの友情の結びつきもあるのだった。今や全員後家さんになったと笑う、美しくたくましい日本の母たちだ。
 その日は朝から入場制限がかかる盛況で、私が
 「今日はU字工事とナイツが出るから、すごい人ですね」 と言うと、
 「私たちは、母心を見に来たの。おもしろいわよ。」 とおっしゃる。
 「これ おいしいのよ」と飴ちゃんをもらったりしているうちに開場時間となる。東洋館の名物エレベーターは1回6人しか乗れないので、ご婦人グループとはここでお別れだ。
 皆それぞれに席を確保して、お弁当をひろげたりトイレに行ったりしているうちに開演。何組目かに出てきた母心は、おばちゃんたち一押しだけあっておもしろかった。
 その日は途中で帰る人もあまりなく、満場で熱気ある舞台だった。さいごの内海桂子師匠とナイツのどこまでもかみ合わない掛け合いが、会場の熱を更に上げる圧巻だった。以前テレビでも見た組み合わせだが、テレビと舞台との違いがはっきりあらわれた。
 テレビの箱の中で行われていることは、視聴者にとって他人事だ。だから予定調和的にかみ合わないと、時間のムダだとか演出がうまくいっていないと思ってしまう。だが舞台の会場では自分も場の中の一人だ。時間とともに、会場にいろんな人がいることがわかってくる。芸人の呼びかけに黙っていられない元気な人に、寝ている人。(この人は、芸人がトランペットの起床ラッパで起こしても起きなかった。) 半日丸々いっしょにそこにいるので、演芸場内には教室のような一体感がうまれている。
 「今日はさいごに桂子師匠が出てくるぞ」 ということが、その前の芸人さんたちの言動で知らしめられており、会場もいつの間にか齢90の師匠の弟子のような気分になっている。
 だからかみ合わなくても、イヤかみ合わないほどに場はわいた。
 さいごは幕が下りても、幕の間から出てきて手を振る師匠に見送られて、皆会場を後にした。
 またいつか近いうちに、あの場所で、あのご婦人たちと出会って、浅草の旬の話を聞いてみたい。

9月13日
 晴天の東北自動車道をバイクで北上する。沿道の田んぼでは稲刈りが始まっていた。9月中旬というのに埼玉を抜け栃木に入る平地は暑い。
 栃木インターで降りて、粟野方面へ向う。そばの白い花が満開だ。高度が少し上がるとスワッと涼風が吹き空気が変わる。
 黄金色の田んぼと白いそば畑が半々になる頃には、気持ちのいい秋日和となり、やがて一面そば畑となり、原野のような林道を抜けると、一件おそば屋さんがあらわれる。途中、「不安になっても直進してください。」と案内表示がある。そば処うえ田で、今日一回目の食事。築120年の2階建て古民家で、川沿いにあり、すばらしく風通しがよい。
 店の奥さんとおしゃべりしながらゆっくり食す。
 「バスも来ないしケータイも通じないけど、どこから聞いたのか、バイクや自転車の人が来てくれるの。私はおっかなくて、ここでそんなの乗れないけどね。」 と笑う。
 そこから林道を更に上って、前日光方面へ。誰もいない道沿いにすすきと萩が秋を演出していた。
 そば畑が出現して集落に入ると、つつじの湯がある。温泉で手足を伸ばして休憩した後、ここの食堂で今日の二食目をとる。粟野の地粉の手打ちそばで、そば湯もうまい。
 休憩所で持参の本を読んだり、周囲のおばちゃんの世間話に耳を傾けたりしてから、もう一風呂浴びて、山を降りる。
 出流原の弁財池で鯉を眺め、佐野ラーメンのお店で三食目をたいらげ、再び東北自動車道に入る頃には日も暮れて、平地にも涼しさがやってくる。
 満腹満足の麺の一日だった。

9月8日
 勢いの衰えた夏の花のしだれるプランターの根元で、来春に咲くムスカリが芽吹きだした。昼の気温が30度を下回るようになれば、夏に摘み取ったムシトリナデシコの種まきの時期になる。
 昨日、本をとりに書庫に行ったら、たまたま書庫の隣家の奥様が窓辺のゴーヤの収穫作業を終えたところだった。「こんにちわ」とあいさつすると、「ちょっと待ってて」と、ゴーヤを数本ビニール袋に入れ、「これはサラダゴーヤといって、生で食べられるのよ」と調理法も教えてくれた。昨日、今日とそれぞれ違う趣向で料っておいしくいただいた。
 今夏は晴天の日が多く、お日様の恵みを受けて、トマトもきゅうりも甘くて安くて、野菜のおいしい夏だった。果物もしかり。立派に育った旬のものを、日々ありがたくおなかに収めている。
 時々行くスーパーでとても美味しそうな塩大福をみかけて、買ってきた。それに合わせて、今日の三時は抹茶をいれた。抹茶といっても、台所の調理台で立ったまま茶筅でシャカシャカするだけの簡単版だ。
 それでも茶碗の中で泡立つ緑と白い大福の並びが、店での5分ほどの休憩時間をなごませた。
 いつか逆境にさらされる日が来ても、2012年の夏の食の幸せを思い出せば、
「あの時のプラスの分だけマイナスになってもチャラだわ」 と、たいていのことならやり過ごせるのではないか、と思った。

9月2日
 どしどしと
  季節あらたまり 風吹きて
   そこらいちめんに 涼しきもの満つ     -高村光太郎-
 いつかはこんな日が来るとは思っていたが、今年はずっと先のことだろうと考えていた。ところが夕べ、突如、北の窓から風が吹いてきた。今まで受けていた南からの風とはガラリとちがう。
 久しぶりに雨を見た。一晩で季節は色をかえた。
 まだ昼間は暑い日がしばらく続き、温度計の数字も行きつ戻りつする。
 こうして店舗以外ではクーラーを使わなかった最初の夏が、思い出になっていく。

9月1日
 ジョン・レノンがいる。ミュージシャンではない。読書家である。ある時店主が、ある本を「ジョン・レノンが買っていった」と言ったのだ。最初は何のことだかわからなかったが、「堀切のジョン・レノンって勝手に呼んでるんだ」というので、「アア あの人だ」と思いついた。
 「な、似てるだろ」と笑いを含んだ目で店主が同意を求める。
 ジョン・レノンに詳しくはないが、ひょうひょうとして地表から1cmくらい浮いたところを歩いているような、それでいて体内に循環しているものは充実しているような印象が似ていた。それから店内で「ジョン・レノン」といえば、彼のこととなった。特別に会話を交わしたこともないので、もちろん本人は知る由もない。
 読書家だという以外、何をしている人かもわからない。
 こうして、何をしているのかわからない人が、何となく暮らしている街を、いい街だなと思う。
 自分も、きっとその何しているのかよくわからない人の一員であろうと思う。

8月のユーコさん勝手におしゃべり
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