ユーコさん勝手におしゃべり

7月26日
 暑中お見舞い申し上げます。不安定な天候の夏ですが、いかがおすごしでしょうか。今年も自筆草稿・画稿など、新規122点を当店ホームページにアップしました。画像の処理、確認など肩のこる日を過ごしましたが、過ぎてしまえば、よい目の保養をさせてもらったと思えます。

 一仕事を終え、22・23日は店舗休業だった。
 22日は群馬天文台で皆既日食見物の予定だったが、あいにくの天候で断念して、伊香保で温泉につかり、翌日店主と信州野尻湖へ車で向かう。野尻湖は中勘助の過ごした土地だ。数年前、偶然手にした岩波文庫の中勘助は、すっかり私の中に根付き、その後全集も入手して、終わらないマイブームのひとつとなった。
 湖畔から、中勘助がひと夏暮らした弁天島を眺める。島には赤い鳥居と白いけむりが見えた。船着き場の人が、「おとといの強風で、大木が倒れて売店を直撃したんだ。全壊しちゃったんで今日は取り壊し作業中だ。見えているのは、そのけむりだよ」と教えてくれた。とりあえず手漕ぎボートを一時間借りて、島へ渡ることにした。店主の漕ぐボートは、力強く進み、弁天島の桟橋にロープで固定して上陸する。まず島を一周してから神社への階段を上がろうと決め、水際をぐるりと周る道をゆく。途中で大きなヘビと二度遭遇する。大きくカサカサと草の音をたてて進むと、道から水辺の方へゆっくり急いで這い逃げて行った。大きな木に「へんな生き物」の本に出てくるような不思議な形状の虫がいる。こちらもニョロリ系だ。こんな虫や鳥たちと勘助もいっしょに暮らしたのだろうと感じ入る。横道から神社へ上り、お参りをすると、小型犬が階段を上ってくる。赤ちゃん連れのカップルといっしょに上がってきたのでその方たちの犬かと思ったらそうでもないらしく、頂上までつくとまた階段を結構なスピードでかけおりた。犬と共に船着き場の方へ下りると、解体作業の終わった売店跡に、売店のご婦人がいらっしゃった。犬は付かず離れずの距離のところでくつろいでいる。店主がご婦人に、「いい犬ですね。何て名前かと思って、思いつく色んな名前で呼んでみたんだけど、どれも違うらしくて」と言うと、「モルツっていうんですよ」と教えてくださった。「へぇ、モルツっていうんですか」とその名を口にしたとたん、そのわんこがすっと立ち、店主の足元に甘えてすり寄った。「モルツ お座り」と小さく声をかけると、足の横に座る。私が「すごーい。モルツっていうんだ」というと、今度は私の足元に来て、撫でてもいいよとお尻を向けて伏せた。
 売店のおばさまに店主が、「中勘助の跡を訪ねてきた」と言うと、「ああ、あそこに泊っていたんだよ」と寝食していたところを教えてくれた。
 「最初は岩波さんといっしょに、ここまで泳いで来たんだよ」と言う。岩波さんって岩波茂雄かと驚くと、
 「岩波さんと頭の上に本をしばって乗せて、泳いで弁天島に渡ったって、ここらへんの伝説よ」ということだった。
 うれしい話が聞けて、偶然の出会いに大感謝だ。
 21日の強風で売店を直撃した木はまだそこにあり、まさに大木だった。「あと一時間長くここにいたら私も死んでたよ」とカラリと言い、売店はまたここに再開するとたくましい笑顔でおっしゃる。まだもっとお話しを伺いたいところだったが、ボートを返す時間もあるので、島を後にする。帰りもボートを漕ぐのは店主となった。勘助も泳いだという湖で漕いでみたい気持ちもあったが、私が漕ぐのでは、どれくらいかかるか桟橋に着岸できるのかもわからないので断念した。行きと同様すばらしいスピードで桟橋に到着した。
 東京への帰路、私は勘助の短篇「島守」をもう一度読まねばと、そればかり考えていた。店に帰って、全集を開けた。角川版の「島守」の入っている巻の口絵写真は懐かしい弁天島だ。巨木の根元に勘助が座っている。たまらず頁を繰る。強風の記述が多く出てきて、より実感する。いつもながら文章の美しさにひきこまれた。
 そして店主は、帰宅してシャワーを浴び、運転疲れで横になっている。「ちょっとしみる」というそのお尻にはすり傷ができていた。「何でだろう」と最初はいぶかったが、すぐ原因はわかった。ボートだ。
 実はボートを借りる時、係りの人が「弁天島には誰もいないので、流されないようにロープでしっかり固定してください」と言ったのだ。私が心配して、「大丈夫かしら、うまく降りられるかなぁ」と言ったのを店主が、「何言ってんだ。俺はヨット乗ってたんだぞ、大丈夫に決まってるだろ」と請けあった。店主は船やロープの扱いには自負があり、それであのオールさばきとなり、その結果のお尻のすりむけである。
 次の日には、「肩が痛い。何だろう」と言っていた。何って、そりゃ、男のプライド、ボート漕ぎ、でしょ。

7月15日
 一気呵成に夏がきた。
 梅雨らしい梅雨の日が続いた後、雨も一休みかと思ったら、陽はいきなり真夏となり激暑がやってきた。
 注文の本をとりに書庫へ行くと、室内の温度計は35℃をさしていた。高温多湿は本の敵、今年初めて、誰もいない書庫にクーラーをかける。タイマーをセットして、人間は猛暑の中を店に帰る。
 いつもは店の2階にいるうさぎは、クーラーのかかった1階店舗へ連れてきて、店番の足もとのダンボールハウスで日中を過ごす。青木書店の夏がはじまった。
 関東の梅雨明けが発表された火曜日は、河口湖畔・天上山へあじさい見物に出かけていた。太宰治「惚れたが 悪いか」の碑のまわりはあじさいと富士山の絶景で、タイミングさえ合えば毎年でも訪れたいところだ。そこより少し山を下ると、山の斜面一面にあじさいの群生がみられる。解きたての水彩絵の具のような色が何ともいい。花の色は、土や空気が出すらしく、同じ木を移植しても同じ花は咲かない。天井山のあじさいしかり。
 それから、以前群馬四万温泉へ行く途中、山を少し登ったときのサルビアのあざやかさを忘れない。東京では朱色と思っていたサルビアの花が輝く赤を発色していた。その時にその場所でしか見られない花木、そこでしか味わえない食べ物、そんなものの入った引き出しが増えることが、年を重ねることの楽しみだ。
 よく各県の木とか県の花を一堂に植えたレイアウトを公園などで見かける。その土地の人が見たら、「こんなんじゃない!」と言いたくなることもあるのじゃないかと思う。

7月3日
 おもいつきの力はすばらしい。
 今朝スーパーのレジで、すてきな会話を聞いた。
 私の並んだ隣のレジに友達同士らしい老婦人が並んでいた。先に順番がきたご婦人が「パンをひとつ買わなくちゃ。すぐ戻るから」と後ろの人に声をかけてレジ横のパンコーナーで菓子パンをひとつとって戻り、カゴに入れた。
 「パン、何にするの?」
 「おはぎにあんこがいるの。仏さまにあげるの」
 「缶詰のもあるわよ」
 「あれはあずきよ。あんこが欲しかったの」
と会話が続き、話しているうちに精算も済んだ。仏壇にちょっぴりのおはぎを供えるのだ。「気は心」だ。ごはんはいつも自分が食べる分でいい。ちょっと搗いてお団子にして、あんパンのあんこを抜いてぺたりとくるめばいい。
 あんことして袋に入り売っているものは量が多すぎる。わざわざおはぎを買わなくても日常生活をしながら仏壇に供物を欠かさない。しかも老舗のパン屋のあんパンのあんこだもの、ご先祖様もおよろこびだろう。
 今日一日が明るくなるような、楽しい会話を、レジごしに背中いっぱい耳にしてうけたまわった。

7月2日
 情熱がかたまりのように押し寄せてきて、全体では何をいっているのかわからなくなってしまう人、というのがいる。
 哲学者なんかももしかしたらその部類に入るのかもしれないけれど、広く世に出ている人は、努力して自分のほとばしりを周囲の人にもわかるように整理して翻訳して出力している。でも整理・翻訳しているとどうしてもこぼれてしまう部分があり、そのあぶれたところが本当にいいたいところだったと思い直してまた書き直す。
 そうして何冊も何作も飽かずに出力し、それがなりわいとなる。
 ことばで表現するという出力手段をとらないで芸術家になる人もいるが、理解不能のかたまりを翻案提出することは同じだろう。いっぺんで完璧にうまくいったら終わりなのだが伝えたいことが大きいほど終らない。
 普段黙々と本を買ってくださる静かなお客様がいる。実は名前も知らない。以前確かにうかがったし、作品も目にしたけれど、私にはむずかしかったので失念してしまった。
 店主が「最近どうですか」と何気なく声をかけたら、「イャ」とさいしょは小さく声を出しただけだったが、実は近況はたくさんあった。発表したことや海外での発表のされ方や評価や…時系列を超えたもろもろ。ことばの数は少ないのだが、脳内で巡っている大きなかたまりで額には汗がにじんでいる。そして言い様や態度は一貫して謙虚で、大変好感が持てる。
 相づちは感心のことばや擬音でうっているが、「何かすごい」以外には伝えられない。なぜなら全体の内容はよくわからなかったのだ。
 わかる人にはわかる。それでいいし、それがいい。
 そんな世界をはたから見ているだけで、たいそう幸せな気分になれる。

6月のユーコさん勝手におしゃべり
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